春日良一(スポーツコンサルタント)

 1989年早春、私は東ベルリンにいた。日東独スポーツ交流協定の締結交渉とその調印のためである。調印はベルリンの壁が崩壊した直後に行われた。冷戦時代、共産主義諸国とのスポーツ交流には、必ず二国間で交流協定を締結しなければならなかったのである。必然この交流協定が歴史上最後の日東独スポーツ交流協定となった。

法廷から退出する旧東ドイツのスポーツクラブのドーピング裁判関係者を
取り囲む報道陣=1998年7月21日
 協定調印を終え、シャンパンでの乾杯後に特別な時間が設けられていた。それはライプチヒ大学体育学部長の記念講演であった。わざわざ、我々の訪独に合わせてベルリンまで来てくれたことにも驚いたが、もっと驚いたのはその内容が同大学の体育講師の日本への売り込みだったことだ。彼のオファーは帰国後、各競技団体に伝えることにしたので、その詳細までをその場で得ることはなかったが、今思えば、そこには長年蓄積されてきたドーピングプログラムのインテリジェンスも含まれていたはずである。ベルリンの壁が崩れて、それまで非公開であった東独のスポーツ科学を経済大国に提供しようとする意図が見えた。

 東ドイツによる国家規模のドーピング計画の全貌が露呈されるのは1998年になってからだが、彼らは国のすべてをかけてドーピングを含むスポーツ科学の国家プロジェクトを作り上げていたのである。その衝撃はスポーツ界のみならず全世界を走った。国家あげての計画には個人の意志が入る余地がない。選手はトレーニングの一環として薬物を供与されていた。

 この問題はいわゆる「ステートアマ」という問題と一体であり、ナショナリズムとも深く関わっているので、当然オリンピックの思想であるオリンピズムの問題でもある。オリンピズムはナショナリズムとの闘いの歴史だからだ。冷戦時代、資本主義の諸国に対抗して、共産主義諸国は国威を発揚すべく、オリンピックでの勝利のために国を挙げて強い選手を作り上げることに全力を注いだ。ドーピングの問題を抜きにしても、このあり方はオリンピックが大切にしてきたアマチュアリズムの問題とぶつかった。表面上はアマチュアだが実質はプロ。ステートアマとはそういう対象に対しての俗称であった。