「ポケモンGO」なんぞ生ぬるい!

『古谷経衡』

読了まで7分

古谷経衡(著述家)


 1998年に公開された『ピカチュウのなつやすみ』で描かれるポケモンたちが可愛すぎて、当時からハアハアしていたケモナーの私からすれば、スマホでピカチュウとかイーブイを捕獲できるという『ポケモンGO』はまさしく我が意を得たりのゲームであり、すわ『ポケモンGO』ブームと聞いて早速DL(ダウンロード)を試みようと思ったができない。

 どうも、私の使っているKDDIのアローズFJL22という機種は、『ポケモンGO』に非対応とある。高い金を払い機種変をしてまでやるつもりもないし、さりとて逡巡していると任天堂の業績には影響限定と報道され、くだんの会社の株価はS安になるわ、7月半ばから2週間と経たないうちに「ブームは下火」の報道。そこへきて『ポケモンGO』狂騒も7月最後の都知事選投開票の話題で消し飛んだ格好。急激なブームを迎えるゲームは、そのブームの終焉もまた急激だ。『たまごっち』をめぐる狂騒、『たまごっち』欲しさから全国で恐喝や窃盗、強盗の犯罪事案が相次いだ先行事例をもうお忘れか。

 しかしもはや消え入りつつある『ポケモンGO』だが、普段ゲームなど無頓着な御仁が、したり顔で「人種や国籍を超えて世界に広がるゲームは初めて」などという趣旨で論評しているから胸糞が悪い。「人種や国籍を超えて世界に広がるゲーム」は『ポケモンGO』が初めてではないぞよ。当然、『マリオ』シリーズはもとより、アーケードの『ストリートファイター』も1980~90年代当時、人種や国籍を超えて世界に広がった日本産ゲームである。

 だがやはり、「人種や国籍を超えて世界に広がるゲーム」の金字塔といえば、SLG(シミュレーションゲーム)の類であろう。代表的なものは『シムシティ』。米企業マクシスが1989年に発売したこのゲーム、ゼロから自分の描いた街を創造するSLGの金字塔であり、いまなお後継シリーズが発売され、世界中に山のような愛好家がいる。
人種や国籍を超えて世界に広がるゲーム

 SLGに共通する特徴だが、ユーザーが自分勝手にMOD(改変データ)を付け加えられる、という点だ。シムシティシリーズでは特に『シムシティ4』でユーザー発のMODが頻繁に交換され、世界中のユーザーが競ってMODを導入した。

 例えばドイツのユーザーはドイツ風の古城MODを自作して頒布、日本のユーザーなら「昭和風街並み」「京都風街並み」などのMODを自作頒布するといった具合で、世界共通のコミュニティサイトもできた。まさに「人種や国籍を超えて世界に広がるゲーム」こそシムシティである。筆者も、何千年時間プレイしたかわからない(数十万人都市として繁栄した後で、自然災害で街を全部ぶち壊す楽しみも世界共通のようだ)。

 さらに「人種や国籍を超えて世界に広がるゲーム」でいえば、『シヴィライゼーション』シリーズと、『エイジ オブ エンパイア』シリーズは外せない。前者はターン制ストラテジーゲーム、後者はリアルタイムストラテジーゲームで、プレーヤーが選択する文明の指導者になり切り、戦争や外交で自文明を勝利に導くというもの。独仏米英中露日印韓といった主要文明・国はもとより、イロコイやアラブ、ソンガイ王国など「人種や国籍」のバランスに慎重に配慮したゲームになっている。それがゆえに、「欧米偏重」などという謗りを受けることなく、世界中で「人種や国籍を超えて世界に広がるゲーム」として愛され続けている。

 この両作も筆者はそれぞれ何千時間プレイしたかは知らないが、特に『エイジ オブ エンパイア』シリーズではリアルタイムの通信対戦が可能なことから、様々な国の廃人ゲーマーと対戦する機会を得た。

 すると、同じゲームのユーザーとは不思議なもので、人種も国籍も違うのにある種のコモンセンスが共有されるのである。たとえば「ラッシュ禁止」というユーザールール。ラッシュとは、文明が十分に育っていない段階で敵対ユーザーの根拠地に機動性のある騎兵やそれに随伴した歩兵集団などを侵攻させ、かの地を根こそぎ凌奪する行為であり、これを行うことは著しいゲームバランスの欠如を生むことから厳禁とされた。言葉も文化も違う日本とウクライナのユーザーが、共にこのルールを守るのだから、ゲームというのはつくづくかすがいであるなと思う。
食指が向くまでもなくブームは終わる

 このほかにも、第二次大戦を舞台とした『ハーツ オブ アイアン』(パラドックス)があるが、これはもう、世界共通に廃人を生み出しているゲームなので本当にやめた方がよい。筆者は1936年の日本でプレイして徐々に政体スライダーを民主制に傾けていく王道プレイが好きなのだが、うっかりすると原稿をほっぽり出して数日間プレイしてしまうという、国際的にある意味危険極まりないゲームである。

 このゲームも、世界中のありとあらゆる国家の指導者になり切ることができ、例えばブータン国王やフィンランド首相として第二次大戦を生き延びることが可能な、無限の可能性を秘めたストラテジーゲームの傑作であり、ユーザーによるさまざまなMODが準備、頒布されているのである。

 と、勢い「人種や国籍を超えて世界に広がるゲーム」を俯瞰してみたが、どれも共通しているのはゲームとしての完成度が高く、そしてユーザーによるMODを許可しているという点だ。熱心なユーザーは、開発者が用意した既存の枠組みでは物足りなくなり、必ずセルフ・カスタマイズを要求する。「人種や国籍を超えて世界に広がるゲーム」は、必ずMOD導入の自由度が高い。

 それに比して『ポケモンGO』は、聞くところによるとMOD導入は可能なようだが、どの程度なのかは疑わしい。が、不可能ではないようだ。問題はそのMODのバリエーションの多寡だが、そもそも『ポケモンGO』を全然プレイしていない筆者は、その評価が判然とせぬ。

 どのみち、「1936年シナリオのスペイン(フランコ派)プレイで英仏領アフリカに装甲車付き民兵師団で侵攻し、ラテンによる有色人種の解放を目指すフランコ版八紘一宇プレイ」等というめちゃくちゃな国策にヒャッハーしている重度の「ハーツ オブ アイアン」オタの筆者(あるいは、アルゼンチンプレイで速攻枢軸入りし、ブラジルをボコって南米統一プレイも)からすると、若干生ぬるくも見える『ポケモンGO』などに食指が向かうまでもなく、そうして向かうまでもないうちにブームも終わっていくというのであるから、ここは自然の摂理に任せ悠々静観するのが吉と思う。

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