SLGに共通する特徴だが、ユーザーが自分勝手にMOD(改変データ)を付け加えられる、という点だ。シムシティシリーズでは特に『シムシティ4』でユーザー発のMODが頻繁に交換され、世界中のユーザーが競ってMODを導入した。

 例えばドイツのユーザーはドイツ風の古城MODを自作して頒布、日本のユーザーなら「昭和風街並み」「京都風街並み」などのMODを自作頒布するといった具合で、世界共通のコミュニティサイトもできた。まさに「人種や国籍を超えて世界に広がるゲーム」こそシムシティである。筆者も、何千年時間プレイしたかわからない(数十万人都市として繁栄した後で、自然災害で街を全部ぶち壊す楽しみも世界共通のようだ)。

 さらに「人種や国籍を超えて世界に広がるゲーム」でいえば、『シヴィライゼーション』シリーズと、『エイジ オブ エンパイア』シリーズは外せない。前者はターン制ストラテジーゲーム、後者はリアルタイムストラテジーゲームで、プレーヤーが選択する文明の指導者になり切り、戦争や外交で自文明を勝利に導くというもの。独仏米英中露日印韓といった主要文明・国はもとより、イロコイやアラブ、ソンガイ王国など「人種や国籍」のバランスに慎重に配慮したゲームになっている。それがゆえに、「欧米偏重」などという謗りを受けることなく、世界中で「人種や国籍を超えて世界に広がるゲーム」として愛され続けている。

 この両作も筆者はそれぞれ何千時間プレイしたかは知らないが、特に『エイジ オブ エンパイア』シリーズではリアルタイムの通信対戦が可能なことから、様々な国の廃人ゲーマーと対戦する機会を得た。

 すると、同じゲームのユーザーとは不思議なもので、人種も国籍も違うのにある種のコモンセンスが共有されるのである。たとえば「ラッシュ禁止」というユーザールール。ラッシュとは、文明が十分に育っていない段階で敵対ユーザーの根拠地に機動性のある騎兵やそれに随伴した歩兵集団などを侵攻させ、かの地を根こそぎ凌奪する行為であり、これを行うことは著しいゲームバランスの欠如を生むことから厳禁とされた。言葉も文化も違う日本とウクライナのユーザーが、共にこのルールを守るのだから、ゲームというのはつくづくかすがいであるなと思う。