このほかにも、第二次大戦を舞台とした『ハーツ オブ アイアン』(パラドックス)があるが、これはもう、世界共通に廃人を生み出しているゲームなので本当にやめた方がよい。筆者は1936年の日本でプレイして徐々に政体スライダーを民主制に傾けていく王道プレイが好きなのだが、うっかりすると原稿をほっぽり出して数日間プレイしてしまうという、国際的にある意味危険極まりないゲームである。

 このゲームも、世界中のありとあらゆる国家の指導者になり切ることができ、例えばブータン国王やフィンランド首相として第二次大戦を生き延びることが可能な、無限の可能性を秘めたストラテジーゲームの傑作であり、ユーザーによるさまざまなMODが準備、頒布されているのである。

 と、勢い「人種や国籍を超えて世界に広がるゲーム」を俯瞰してみたが、どれも共通しているのはゲームとしての完成度が高く、そしてユーザーによるMODを許可しているという点だ。熱心なユーザーは、開発者が用意した既存の枠組みでは物足りなくなり、必ずセルフ・カスタマイズを要求する。「人種や国籍を超えて世界に広がるゲーム」は、必ずMOD導入の自由度が高い。

 それに比して『ポケモンGO』は、聞くところによるとMOD導入は可能なようだが、どの程度なのかは疑わしい。が、不可能ではないようだ。問題はそのMODのバリエーションの多寡だが、そもそも『ポケモンGO』を全然プレイしていない筆者は、その評価が判然とせぬ。

 どのみち、「1936年シナリオのスペイン(フランコ派)プレイで英仏領アフリカに装甲車付き民兵師団で侵攻し、ラテンによる有色人種の解放を目指すフランコ版八紘一宇プレイ」等というめちゃくちゃな国策にヒャッハーしている重度の「ハーツ オブ アイアン」オタの筆者(あるいは、アルゼンチンプレイで速攻枢軸入りし、ブラジルをボコって南米統一プレイも)からすると、若干生ぬるくも見える『ポケモンGO』などに食指が向かうまでもなく、そうして向かうまでもないうちにブームも終わっていくというのであるから、ここは自然の摂理に任せ悠々静観するのが吉と思う。