新井克弥(関東学院大学文学部教授)

世界中が夢中?


 アプリがリリースされるやいなや社会現象となっている「ポケモンGO」。現在、僕はロサンゼルスに滞在しているが、こちらでもこの騒ぎはリリースが日本に先行した7月の初めから始まっていた。とにかく行く先々で人々がスマホを見やりながら歩いているという異常事態が発生したのだ。ポケモンをいくつもゲットできる場所ではかなりの人間が群がっている状態。しかも夢中になっているのは子供だけではない。むしろ20~30代のほうが目立つほど。先日、ディズーランドへ出かけたのだが、ここでも状況は同じだった。ディズニーでポケモン世界にどっぷりつかっているというのは、なんとも不可思議。とにかく人々はポケモンGOに取り憑かれている。それが二週間後に、全く同じように日本でも出現したというわけだ。いや、日本だけではない。ポケモンGOがリリースされた地域ではどこも同じような現象が発生している。ポケモンGO、これは悪魔なのか?

 当然、ポケモンGOにまつわる話題や議論も日替わりで登場する。これらの現象もまたポケモンGOを巡る社会現象を形成している。だが、メディア論的な視点からすると、現在のこのポケモンGOをめぐる騒ぎは決して驚くべきことではない。というのも新しいメディアが出現し、勢いをもった場合には、この手の騒ぎがつきものだからだ。テクノロジー万歳と礼讃するもの。子供に悪い、人々を白痴化させる、怪しげな事件が多数発生していると非難するものなど。「ああ、いつものあれね?」といったところだろうか。早くも「ポケモンGOはピークを過ぎた」なんて、これまたお約束の情報が流れたり。だが、新たなメディアの落ち着き先は、これらの思い込みとは全く異なったところに着地するのが常道。だから、メディアとは何か、そしてポケモンGOとは何かを考えようとする場合には、こうした議論とは付き合わない方が、むしろ現象の真相が見えてくる。
 メディア研究者の立場からポケモンGOを考えた場合、これはとてつもないメディアの出現、メディア機能のパラダイムシフトを促している存在と捉えることができる。ただし、ここでのポイントはポケモンではなくポケモンGOを機能させているARというテクノロジーにある。