ポケモンGOが涵養するわれわれのARメディアリテラシー


 こうやって考えてみると、ポケモンGOがわれわれに涵養、つまりジワジワとたたき込もうとしている新しいメディアの姿が見えてくる。それがARなのだ。これまでなんだかわけのわからなかったもの。ところが、これを普段所有しているスマホを使って実にシンプルなかたちでその使い方を教授してくれる、それがポケモンGOなのだ。言い換えれば、われわれはポケモンGOに熱狂しながら、実はARという新しいメディアテクノロジーをわれわれの日常に置こうとしているのだ。
 ARはセカイカメラやグーグルグラスが志向したように、大きな可能性を秘めている。ポケモン自体はエアタグと同じ機能だが、これがセカイカメラのように様々な情報のタグとなったときにはわれわれのメディアライフを変えてしまう可能性が高い。つまり、どこかにいって何かを調べようと思ったときに、まずやろうとするのがスマホのカメラをそこにかざすということになる。もちろん、情報が管理されていること、言い換えればコスモスが用意されていることが前提になるけれど(そうしない場合はセカイカメラの二の舞になる)。

 そしてもう一つ、ポケモンGOのARだけがヒットした理由がある。それは、コンテンツがポケモンだったからだ。30台半ばより下はポケモンに馴染んでいる。当然、ポケモンの遊び方も知っている。それがスマホを利用することでリアルワールドで遊ぶことができる。自分もサトシになれる。だからやりたくなる。夢中になる。だがポケモンGOに熱狂しているとき、ユーザーにはARを操作している認識はこれっぽっちもない。彼らは純粋にポケモンをゲットしている。かつての任天堂のドン山内溥は「人は機械が欲しくてゲーム機器を買うんじゃなくて、ゲームがやりたくて機械を買うのだ」と断言していた。そのとおりで、今回もユーザーはポケモンGOがやりたくてやっているだけ。でも結果としてARを操作している。だから、ARというわけのわからないテクノロジーに恐れることもない。いや、恐れを知らないのだ。だって、いつもの「ポケモン、ゲットだぜ!」なんだから。

 ただし、そこにこそポイントがある。こうやってポケモンGOに熱狂する。もちろん、いずれこのゲームが飽きられるときが来るだろう。ただし、ユーザーに共通して残るものがある。それこそがARを操作するスキル=メディア・リテラシーだ。これが無意識のうちに身についてしまえば、あとはどんなARが出現しようが難なく手を伸ばすだろう。洗濯機を、電子レンジを、そしてスマホを操作するように。先頃アップルのCEOティム・クックはポケモンGOの成功を讃え、Appleが今後AR技術に注力していくことを発表したが、これは完全に正解だ。いずれわれわれはAR世界の中に身を置くことになる。ポケモンGOは、その効用を実感させられた瞬間なのだ。われわれはポケモンGOというコンテンツを借りながらARの使い方のトレーニングを受けている。これが、ポケモンGOがわれわれの近未来のメディアライフに与える大きな変化だろう。

 ポケモンGOはわれわれにARライフとというパンドラの箱を開いたのだ。
(ブログ「勝手にメディア社会論」より2016年8月3日分を転載)