小林信也(作家、スポーツライター)


 萩野公介が400メートル個人メドレーに優勝。メドレー種目では日本男子初の金メダルを獲得。さらに9日には競泳の男子800メートルリレーの第1泳者で出場し、この種目で1964年東京五輪以来52年ぶりのメダルとなる銅を獲得した。

 小学生時代から「天才」と呼ばれ、将来の活躍を嘱望されていた逸材が五輪の舞台でついに頂点に立った。早くから頭角を現したジュニア選手が必ず順調に育つとは限らない。むしろ競技から離れていく選手も少なくない中、萩野公介はなぜ才能を開花させることができたのだろう?

 ライバル・瀬戸大也も大きな刺激になっただろう。東洋大では競泳界のレジェンド、北島康介の恩師であり、いまや海外の金メダリストも指導し実績を重ねる平井伯昌コーチが味方についた。多くの勝因が挙げられるほか、次の要素も大きいだろう。

競泳・男子400m個人メドレー決勝で優勝し、萩野公介は力強くガッツポーズ=8月6日、五輪水泳競技場
競泳・男子400m個人メドレー決勝で優勝し、萩野公介は力強くガッツポーズ=8月6日、五輪水泳競技場

「天才」を味方につけた


 萩野公介は、「2歳のころからスイスイ泳いでいた」(母親の証言)という。つまり萩野は、コーチに教えられて速くなったスイマーでなく、自分の中に元々、速く泳ぐ感覚を持っていた。その感覚を自分主体で伸ばしてきた。大人の理屈に邪魔されない、自然児的な強さが萩野を伸ばし続けてきた。

 日本経済新聞のインタビューによれば、萩野を小学校1年の夏から2年の終わりまで指導した八木未来コーチは「スクールに入ってきた当初から泳ぎは完成されていたので、変にいじらないようにした」と語っている。

萩野公介(左)と練習について確認する平井伯昌監督=8月1日、ブラジル・リオデジャネイロの五輪水泳競技場
萩野公介(左)と練習について確認する平井伯昌監督=8月1日、ブラジル・リオデジャネイロの五輪水泳競技場
 どんな種目でも、多くの有望選手たちが「いじられてダメになる」例が多い。萩野はいじられることなく、少年時代を過ごすことができた。それは、「いじらせないオーラ、それだけのレベルの高さ」をすでに持っていたからだろう。

 同じ記事で、転校した先の栃木で小学校3年から高校卒業まで指導した前田覚コーチは語っている。「背泳ぎで肩が水の上に出て泳いでいる小学生なんて後にも先にも公介以外、見たことがない」

 肩が水面より出ていれば、水の抵抗が少なくなる上、肩の動きもスムーズになる。普通は経験を重ねてそれができるようになる。萩野は最初からできていた。

 私も、現在スポーツ庁長官を務める鈴木大地選手(当時)の練習を初めて見たとき、身体がまるでイカダのように水面に浮かんでいる感じがして目を丸くした記憶がある。身体が沈んでいない。水の上にポカッと乗っている感覚。

 萩野は小学校3年生になったばかりで、その感覚を身につけていた。そして、それだけのレベルの高さを見せたことで、コーチたちに逆に畏敬の念を抱かせ、余計な邪魔をさせなかった。前田コーチは、上から目線で指図するのでなく、水泳を嫌いにさせないよう配慮し、萩野の感覚を必ず確かめることを基本にしていたという。小学生とそのように付き合えるコーチが、他の競技も含めてどれほどいるだろう。コーチの謙虚さも素晴らしい、コーチをそういう姿勢にさせる魅力が萩野にあった。「天才」という次元の高さを武器にして、萩野は自分の世界を築いて来た。