岩田温(政治学者)

 突如なされた天皇陛下の「生前退位」に関する報道に、私は違和感を覚えていた。そもそも、「生前退位」などという言葉がおかしな言葉であり、「譲位」という言葉の方が適切なはずだ。何故、このような不思議な言葉が突如使われたのか、極めて疑問だった。また、仮に天皇陛下のご体調が悪いのであれば、「生前退位」だの「譲位」という形ではなく、摂政を置けばよいのではないか、とも漠然と考えていた。

 なによりも、突如なされた「生前退位」に関する報道が真実か、否かがわからなかった。本当にこの報道が真実で、天皇陛下が「譲位」のご意向だとするならば、それは何故なのか。取りあえず、何もわからないままに憶測だけで何かを論評することだけは避けようと考えていた。それゆえに、天皇陛下のお気持ちを直接拝聴できるという八月八日は朝から緊張していた。

 午後3時、天皇陛下のお言葉を拝聴し、文字通り涙が流れた。本当に国民の幸せを祈り、国民とともに歩まれてきたことを改めて確認すると、自然と涙が溢れた。とりわけ、次のお言葉に涙してしまった。「皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に行って来たほぼ全国に及ぶ旅は、国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした」

 名もなく暮らし、地域を支える市井の人々へのご配慮。ここまで一人一人の国民を思う君主が他の国に存在したのだろうか。大変ありがたいことだ。日本に生まれてよかった、と改めて思った。天皇陛下のお言葉を賜り、私自身は、自らの不明を恥じるばかりだった。安易に「摂政」を置けばよいという考えが、陛下の実践してきた「象徴天皇」像からかけ離れていたことに思いが至らなかった。
8月8日、JR秋田駅の待合室で天皇陛下のお気持ち表明のビデオメッセージを見る人たち
8月8日、JR秋田駅の待合室で天皇陛下のお気持ち表明のビデオメッセージを見る人たち
 天皇陛下は、「国民の安寧と幸せを祈る」ことをご自身のお務めとされ、同時に「時として人々の傍らに立ち,その声に耳を傾け,思いに寄り添うこと」も重んじてこられた。東日本大震災という、大災害時、被災地の人々は、天皇陛下のお見舞いにどれほど励まされてきたことかに思いをいたせば、国民と共に歩んで下さる天皇陛下の有難さが容易に理解できよう。災害の衝撃から、茫然自失とし、生きる望みすら失いかけていた被災者が数多く存在した。真心から被災者を慈しんでくださった天皇陛下の励ましのおかげで立ち直った人も多いと仄聞する。

 天皇陛下は、高齢化に伴い「国事行為や,その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには,無理があろうと思われます」とし、あくまで象徴としての天皇陛下が、国事行為、象徴としての行為をすべきであろうとご指摘されておられる。日本の中で、天皇陛下ほど象徴としての天皇としての為すべき事柄を考えつづけた方はありえない。国民は、謙虚に天皇陛下のお気持ちに応えていく義務があろう。