だが、直ちに譲位を決定するために皇室典範を改正すれば、それで全てが解決するというわけではないことも、敢えて指摘しておかねばならない。明治時代に旧・皇室典範が制定された際、その第10条で「天皇崩スルトキハ皇嗣即チ践祚シ祖宗ノ神器ヲ承ク」と定められ、譲位は出来ぬものとされていた。伊藤博文の『皇室典範義解』によれば、この理由は次のとおりである。

 そもそも神武天皇から舒明天皇にいたるまで譲位の伝統はなかった。そして譲位がなされるようになってから「権臣」が強迫によって「譲位」を利用し、のちに南北朝の乱のような事態に立ち至った。従って、「譲位」が制度的に不可能であれば、「権臣」たちが天皇を強迫し、利用することも不可能になるだろう、ということだ。「象徴天皇」を政治利用しようとする勢力が存在するか、否かはただちに想像できないが、こうした事態を未然に防ぐための準備が必要なのは間違いなかろう。

 また、もう一つ重要な問題がある。天皇陛下の譲位の問題を奇貨として、奇妙な皇室廃絶論が盛り上がっていくことへの懸念である。具体的には、日本国憲法下で認められている人権が皇族に認められていないという非難である。例えば、憲法学者の奥平康弘氏は次のようにいう。

 「私は『退位の不自由』(および「身分離脱の不自由」にかぎっては、権利保障体系にもとづいて、窮極の「人権」が語られるべきだと思う。ある制度(生活環境・身分など)のために、本来ふつうの人間すべてに保障されているはずの権利・自由が構造的に奪われているばあいには、なんぴともその制度の枠組みから逃れ、ふつうの人になる「脱出の権利」(right to exit)があるべきである」(『「萬世一系」の研究』岩波書店)
お気持ちを表明する天皇陛下の言葉をラジオで聞きながら、頭を下げる男性=8月8日、皇居・二重橋前
お気持ちを表明する天皇陛下の言葉をラジオで聞きながら、頭を下げる男性=8月8日、皇居・二重橋前
 また社会学者の橋爪大三郎氏も次のように説いている。「ひとり天皇家に不自由を強いて、自分たちはこのままでいいという国民の態度は、虫がよすぎるし無責任である。そもそも象徴天皇をいただいた民主主義は、偽りの民主主義にすぎない」(「日本人のアイデンティティを体現して天皇制が直面する『構造的見直し」『SAPIO』)

 天皇陛下のお気持ちを国民の一人として真摯に受け止め、高齢社会における象徴天皇は如何にあるべきかの議論を為すべきだと痛切に感じる。その一方で、御皇室の存在が民主主義とは両立しないと考える人々が「退位」について「人権」の観点から言及してきた事実からも目を背けるべきではない。現代に相応しい、そして、将来に相応しい御皇室のあり方とは、いかなるあり方なのか。我々は真剣に討議すべきであろう。