西村眞悟(元衆院議員)

 八月八日、今上陛下は、戦後七十年を「大きな節目」と言われた。そこで、その節目の起点となった昭和二十年八月九日に始まった御前会議における昭和天皇の十日未明の御聖断に関して記しておかねばならない。

 何故なら、一昨日の今上陛下のお言葉は、既に述べたように,明治天皇および昭和天皇を鑑(かがみ)として自ら果たしてこられた天皇の務めに関して述べられたものだからである。即ち、ここに一貫して観られるものは、歴代天皇に貫かれている無私の御決断と御行為である。

 昭和二十年七月二十六日、我が国に無条件降伏を迫る連合国のポツダム宣言が発せられた。同八月六日午前八時十五分、広島に原子爆弾が投下された。天皇陛下は、広島の状況を詳しく報告せよと政府と陸軍に御下命になったが、七日も詳細不明のまま暮れた。以下の推移は次の通り(藤田尚徳著「侍従長の回想」より)。
 八日朝、東郷外務大臣が参内して陛下に原子爆弾に関する米英の放送を報告した。陛下は、原子爆弾の惨状をよく知っておられ、外相に速やかに戦争を終結するよう努力せよ、このこと木戸内大臣と鈴木首相に伝えよ、と指示された。

 八日午後十一時(モスクワ時間午後五時)、ソ連のモロトフ外相が佐藤大使に,対日宣戦布告文を手渡した。九日午前十時三十分、鈴木首相は、ポツダム宣言受諾に関して、戦争最高指導会議を開いたが、以後、三時間協議しても意見がまとまらずに休会し,引き続き閣議を午後二時から三時間開催し、さらに第二回閣議を午後六時三十分から午後十時まで開いた。

 陛下は、この間、陸軍の軍装を召されたまま、指導会議や閣議の様子を木戸内府から逐一お聞きになって待機されていた。その間の午前十一時〇二分、長崎に原子爆弾が投下された。