竹田恒泰(作家)

 天皇陛下は8月8日に発せられた勅語のなかで、憲法上の制約を考慮なさってか、問題解決のための具体的な方策には敢えて言及なさらなかった。「譲位」「退位」の言葉を含め、天皇の位をお退きになる点についての言及もなかった。そのため、具体的な方策は国民に委ねられた形になったといえる。

 現行制度では、天皇に精神若しくは身体の重患又は重大な事故が生じた場合に「摂政」を置くことができ、また「国事行為の臨時代行に関する法律」によって、国事行為を皇族に委任することができる。

 だが、現行制度で解決できると陛下が思し召しておいでなら、あのようなビデオメッセージを公表なさることはなかったと思われる。
日本学士院賞の授賞式に臨席された天皇、皇后両陛下=6月27日、東京・上野の日本学士院会館
日本学士院賞の授賞式に臨席された天皇、皇后両陛下=6月27日、東京・上野の日本学士院会館
 陛下は摂政について「この場合も、天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません」と仰せであり、陛下の御懸念は摂政では拭えないことが窺える。

 とすると、譲位を実現させることは、陛下の御懸念を払拭する有力な方法であろう。しかし、皇室典範には譲位に関する条項が無く、天皇は崩御までその地位を退くことはできないと解されている。

なぜ譲位が制度化されていないか


 歴史的には多くの譲位の例があるが、明治期に皇室制度が整備された折に、なぜ譲位の制度は規定されなかったのだろうか。

 『皇室典範』の討議では、①天皇が随意にその位を離れることに理はない、②歴史上の譲位が為政者の事情に左右された、などを理由に譲位の規定は削除された。

 その後、終戦後に皇室制度が再び公式に議論されたが、政府は、天皇自身のお考えで譲位なさることは国民の信念と調和しないと答弁し、制度化は見送られた。

 次に譲位が議論されたのは、昭和天皇が83歳をお迎えになる年のことだった。当時の山本悟宮内庁次長は衆議院内閣委員会で、①譲位を認めると歴史上見られるような「上皇」の弊害が生じるおそれがある、②天皇の自由意志に基づかない強制退位の可能性がある、③天皇が恣意的に譲位することは「象徴」という立場に馴染まないなどと答弁し、このときも制度化を見送っている。

 歴史上の「上皇」の弊害については、歴史教科書を紐解けば、平安時代を中心に上皇の存在が政治を混乱させた事例があることを簡単に知ることができる。また、強制退位は平安時代末期の崇徳天皇をはじめ多くの事例があるし、天皇が恣意的に譲位して政治に圧力を掛けた事例としては、江戸前期の後水尾天皇の例を挙げることができよう。

 このように明治維新以降、幾度も譲位が議論されてきたが、弊害が危惧され、常に制度化が退けられてきたのである。

 では、譲位は実現させるべきでないかといえば、そうではない。すでに述べたような弊害が生じなければよいと私は思う。

 今上天皇が譲位なさったとしても、ほぼ間違いなく、そのような弊害は生じないであろう。天皇陛下の勅語がきっかけとなって国民的議論がわき起こり譲位への道が開けたなら、一体どこに非の打ち所があるといえようか。