小林信也(作家、スポーツライター)

 卓球男子シングルスで、水谷隼が銅メダルを獲得した。

銅メダルを手に笑顔を見せる水谷隼
=11日、リオ中央体育館(撮影・桐山弘太)
 オリンピック卓球の個人種目で日本男子が獲った史上初のメダル。それだけでも充分に価値があるが、この勝利はそれ以上の重みと意義を持っている。

 2012年のロンドン五輪でメダルを獲得できなかった水谷隼は、大きな決断をし、勇気ある行動を起こした。卓球界では公然の秘密となっていた補助剤(ブースター)を一掃し、公平な競技環境を取り戻すための問題提起をしたのだ。

 ご存知ない方のために概要を説明しよう。数年前まで、卓球選手たちの多くはスーパーグルーという接着剤を使用してラバーを張り替えていた。これはただ貼るだけの目的でなく、この溶剤を使って接着することでラバーが化学反応を起こし、ラバーの反発力などが変わる。回転数や球速が劇的に増加する効果を狙ってこの接着剤を使っていたのだ。ところが、有害な物質ゆえに、ある選手が中毒症状を起こし重体になった。それをきっかけに使用が禁じられた経緯がある。それで卓球界が健全になればよかったが、次に選手たちが採り入れたのが補助剤だった。ラバーを貼るとき、補助剤を塗るとスーパーグルー同様にラバーが変質し、回転数と球速が飛躍的に増すという。一度そのたくましい打感を経験すると、それなしではいられないほどの違いだという。

 この補助剤も規則で禁じられているが、使ったかどうかを検査する方法がないこともあって、多くの選手が違反を承知で使っている実態がある。水泳で言えば、話題となった高速水着が禁止になったにもかかわらず、無視して使い続け、しかもお咎めなしで、順位も記録も正式に認められる状況が続いている。実際には野放しの状態なのだ。ロンドン五輪のころは、補助剤を使っていないのは水谷隼をはじめとする日本選手とその他ごく一部の選手だけで、海外の選手はほとんどが使っているのではないかと思われる状況だった。選手によれば、試合で打ち合うと一発でわかるという。打つ音がまるで金属音のように響く。信じられない回転数で、威力のあるボールが飛んでくるからだ。

 このような不正、そして不公平が放置されたら、卓球競技は健全さを失う。いやすでに失っている。それに対して声を上げたのが水谷隼だった。世界に向けて、卓球選手の間では公然の秘密になっている不正の横行を伝え、改善を呼びかけ、公平性が回復するまで「国際大会には出場しない」と宣言したのだ。

 その行動に対して、「ロンドン五輪でメダルを獲れなかった言い訳をするな」といった批判も向けられた。そういう出来事があってのリオ五輪だけに、銅メダル獲得の重さは、格別だ。