青山繁晴(参議院議員、作家)

 七十一年目を数える敗戦の日にあたって、iRONNAの編集部がわたしに投げかけたテーマが「お国のために死ねますか?」であった。

 わたしは、こうした言葉を使わない。執筆をお断りしようと思った。だが、ひとり考え直した。敗戦の日という大切な日に寄せての原稿であれば、引き受けるべきではないか。物書きは不肖わたしの本来の仕事のひとつだ。現代日本のプロの物書きなら、何がどうあれ避けてはいけないテーマだと考えた。

 編集部がなぜ、「お国のために死ねますか?」という言葉をテーマに選んだのか。それはあえて一切、聞いていない。

 勝手に忖度(そんたく)すれば、日本の防衛を引き受けていたアメリカが退いていき、国際法を無視する中国が膨張して尖閣諸島の海を侵し、同胞を拉致したままの北朝鮮は新たに秋田沖へ弾道ミサイルを撃ち込み、そのなかで中途半端な安保法制が不毛の口喧嘩のような議論の果てに施行され、憲法には「国の交戦権は、これを認めない」という主権国家にはあり得ない規定がそのまま続く、このどんよりと曇った空のような日本の安全保障をどう考えれば良いのかという問いがまず、背景にあるのだろう。
沈没した中国漁船の乗員を救助する海上保安庁の小型船=8月11日午前、沖縄県・尖閣諸島沖(第11管区海上保安本部提供)
沈没した中国漁船の乗員を救助する海上保安庁の小型船=8月11日午前、沖縄県・尖閣諸島沖(第11管区海上保安本部提供)
 そして、わずか七十年あまり前には祖国のためには死すら選ぶこともできる人がどの場所、どの世代にもいた同じ国で、そもそも国家というものを認めない国会議員が、あろうことかリベラルと称して有権者に選ばれ、国費で暮らしている。西欧のリベラル派とは、自由と祖国のためにみずから戦う人を指す。どうやって国民を護るかを一字も規定していない憲法を墨守する人々がリベラルを自称するという、ほんとうは悪い冗談のような社会が現在の日本である。だからこそ、とりわけ若者よ、あなたは国のために死ねますか、国とは何ですか、と思わず聞いてみたくなるのだろう。

 国家安全保障へのたった今の不安、それから敗戦後社会への尽きせぬ疑問、このふたつが相俟(あいま)って、編集部の問題提起を呼び起こしたのではないだろうか。