小林信也(作家、スポーツライター)

 吉田沙保里が銀メダルにとどまった。日本中が大きなショックに沈んだ。

「お父さんに怒られる」

 負けた直後、母親の胸で泣き、小さく叫んだ彼女の言葉に、声を失った。吉田と父・栄勝さんの絆、目指し続けた一途な道は、他人にはわからない覚悟の強さがあるだろう。それでも、吉田を今日まで衝き動かしてきた心の原動力、その本音の核心を垣間見て、「もっと自分の心を解放してくれてもいいのではないか」。そんな思いを抱いたのは筆者だけだろうか。
レスリング女子フリースタイル53キロ級決勝戦、試合後に母親の元で泣きじゃくる吉田沙保里=カリオカアリーナ(撮影・森田達也)
レスリング女子53キロ級決勝戦、試合後に母親の元で泣きじゃくる吉田沙保里=カリオカアリーナ(撮影・森田達也)
「取り返しのつかないことをしてしまった」
「日本選手団の主将として、絶対に金メダルを獲らなければいけなかったのに、本当にすみません」

 次々と吉田の口から絞り出される言葉に、彼女の強い思いを感じると同時に、彼女の思いと周囲の期待には少しずれがあるような感じも否めなかった。

 吉田は、幼い頃にレスリングを始めてからずっと、「オリンピックの金メダル」が目標だった。まだ女子レスリングが五輪種目でなかったにもかかわらず、「必ず五輪種目になる」と予言した父親の言葉を信じ、競技に打ち込んできた。その予言通り、アテネ五輪から女子レスリングが採用され、ちょうど21歳になり、ずっと勝てなかった宿敵・山本聖子さんをしのぐ実力をつけていた吉田は日本代表となり、念願の金メダルを獲得した。それから北京五輪、ロンドン五輪で3連覇を果たし、金メダルは吉田の代名詞のようにもなり、また宿命にもなった。

 オリンピックの成果はもちろんメダル獲得、中でも金メダルに集約されるのは言うまでもない。

 今回のリオ五輪でも、大会序盤から始まった日本選手たちのメダル獲得ラッシュが、リオ五輪への日本中の関心を盛り上げた。吉田が金メダルを獲っていれば、さらに熱狂のボルテージが高まっただろう。けれど、吉田が銀メダルにとどまった意義の大きさをいまは感じている。

 もし4連覇を果たしていたら、彼女の重圧や体力・心理の年齢的厳しさを実感できない無邪気な応援者たちは、2020年東京五輪での5連覇を求めただろう。それは、今回以上のストレスを彼女に与えることになっただろう。