中岡望(東洋英和女学院大学大学院客員教授)



 1980年代から本格的に始まったグローバリゼーションの反動として先進国にナショナリズム、保護主義、移民排斥主義が息を吹き返しつつある。経済のみならず政治や社会の国際化は、各国に深刻な影響を及ぼしている。グローバリゼーションは人々に大きな恩恵をもたらすと同時に、一部の人々に耐え難い苦痛も与えてきた。途上国との競争に直面した先進国の労働者は雇用喪失を経験し、増え続ける移民・難民は受入国に経済的、社会的、政治的な摩擦を引き起こしつつある。アメリカの共和党の大統領候補にドナルド・トランプ氏が指名されたのも、こうした流れとは無縁ではない。

 アメリカの平均的な労働者の実質賃金は1990年代以降、ほとんど上昇していない。またブルーカラーの就業率の低下傾向も続いている。こうした反動は共和党のトランプ候補に限らず、民主党の予備選挙でベニー・サンダース候補が自由貿易協定の破棄を主張したことにもうかがえる。歴史的に見れば、ファシズムの台頭は中産階級の崩壊と経済危機が重なり、敵を特定の民族や移民に求めたときに共通して見られるものである。トランプ現象に代表されるアメリカ社会の動きは、まさにこうしたアメリカ社会の動向を反映したものといえよう。

米ノースカロライナ州での集会に出席した共和党大統領候補トランプ氏(ロイター=共同)
米ノースカロライナ州での集会に出席した共和党大統領候補トランプ氏(ロイター=共同)
 トランプ候補の最大の支持層は高卒以下の労働者である。アメリカの世論調査機関ピュー・リサーチの調査では、高卒以下の白人の57%がトランプ候補を支持しているのに対して、クリントン候補を支持する比率は36%にすぎない。逆に大卒以上の高学歴者では、クリントン候補支持52%に対して、トランプ支持は40%と逆転している。こうした高卒ブルーカラーは特に厳しい経済状況に置かれている。トランプ候補はそうした層に対して「ブルーカラーの経済的苦境の原因はメキシコから不法移民が大量に流入する一方、中国などの途上国によって雇用が奪われている」と訴えかけ、大きな共感を得ている。

 トランプ候補の主張する自由貿易協定破棄や1100万人といわれる不法移民の強制送還という主張は、喝采をもって受け入れられている。ただ多くの専門家はブルーカラー層の経済的な困窮は移民とは直接関係ないと分析しているにもかかわらず、トランプ候補の主張は過剰に扇動的であるにもかかわらず、多くの国民の支持を得ている。

 特に南部のブルーカラー層はもともと保守的で、共和党支持層であった。だが共和党は大企業の代弁者として積極的にグローバリゼーションを進めてきた。その結果、保守的なブルーカラー層は共和党支持層でありながら、共和党指導部から見捨てられてきた。彼らは必ずしも政治意識が高いとは言えず、投票所に足を運ぶことも少なかった。また労働組合が大きな支持層である民主党支持に転じることもなかった。トランプ候補はこうした共和党と民主党の狭間に落ちていた「南部の声なきブルーカラー層」の代弁者として喝采を持って受け入れられたのである。トランプ候補は演説で「我々は労働者の党になる。過去18年間、実質賃金が上昇せず、怒りに満ちている人々の党である」と訴え、続けて「多くの有権者は共和党指導部に不満を抱いている」と党執行部を批判している。

 大企業の代弁者である共和党執行部は自由競争を柱とする新自由主義の政策を実現してきた。その結果、国民の所得格差は耐え難い水準にまで拡大し、政府への不満は極限にまで達しつつある。FRB(連邦準備制度理事会)の調査では、55歳から64歳の退職間際の人々のうち19%は将来に対する備えは全くない状況に置かれている。労働者の30%が十分な貯蓄も持っていない。将来に対する不安は限界まで高まりつつある。そうした中で、共和党執行部から疎外され、リベラルな民主党を受け入れることができない保守的なブルーカラー層がトランプ支持者となっている。