久保田博幸(金融アナリスト)

 六代将軍となった徳川家宣は、新井白石からの建議を受け綱吉時代の財政金融政策を見直し、事態の立て直しを図りった。これが「正徳の治」である。金銀貨の質を徳川家康が作らせた慶長と同様なものに戻し、これによって小判貨幣量を減少させるために金銀貨の品位・量目の引き上げを行った。

 1714年に金貨の品位を慶長金貨(84~87%)にまで引き上げる改鋳が行われ、元禄・宝永小判二両に相当する品位84%の正徳小判を発行した。しかし、正徳小判の品位は慶長小判に劣るとの風評が立ち、翌年にはさらに品位を若干高める改鋳を行い、後期の慶長小判と同品位の享保小判(品位87%)を発行したのである。
小判50枚が包まれている「金包」(日銀提供)
小判50枚が包まれている「金包」
 新井白石は長崎貿易についても統制令を出して貿易総額を規制し、また、銅の輸出にも歯止めをかけようとした。加えてこれまでの必需品としての輸入商品であった綿布、生糸、砂糖などの国産化を推進した。

 元禄文化に象徴される華美・贅沢な風潮を改め、幕府も徹底的な倹約に努めた。しかし、幕府による財政支出の減少や武士層の消費が大きく減退し、現在で言うところの公共投資と個人消費が減少した。さらに金銀貨の流通量の減少傾向が強まり、物価は大きく下落し、日本経済は再び深刻なデフレ経済に陥ったのである。特に幕藩体制を支えていた米価の下落は農民や武士の生活に深刻な影響を及ぼした。経済の安定のためには物価をコントロールする必要性があるものの、その難しさというものも荻原重秀と新井白石の政策の影響から伺えよう。

 宗家紀州徳川家から八代将軍に就任した徳川吉宗は、新井白石を解任するなど人事の一新を図る。そして享保の改革を通じて、危機的状況にあった幕府財政の建て直しのため、倹約による財政緊縮を重視しデフレ政策を実施した。これにより物価はさらに下落し、特に米の価格下落が激しくなる。このため、吉宗は米価対策を打ち出したものの、商人による米の買い上げなどの政策も功を奏さず、その結果、インフレ策として金銀貨の改鋳による通貨供給量の拡大を計ることとなった。

 ただし、改鋳に当たってこれまでのように出目といわれる改鋳による差益獲得の狙いはせず、新貨幣の流通を主眼に置いた。すなわち、元文小判の金の含有量は享保小判に比べて半分程度に引き下げられたが、新旧貨幣の交換に際しては旧小判1両=新小判1.65両というかたちで増歩交換を行った。しかも新古金銀は1対1の等価通用としたことで、この結果新金貨に交換したほうが有利となり、新金貨との交換が急速に進み、貨幣流通量は改鋳前との比較において 約40%増大した。貨幣供給量の増加により物価は大きく上昇し、深刻なデフレ経済から脱却し適度のインフレ効果を生み出したのである。