赤木智弘(フリーライター)


 僕は24時間テレビ批判に端を発する「感動ポルノ」の論理には極めて強い違和感を感じる。

 元々ネットにおいて、24時間テレビは常に攻撃に晒されてきたと言っていい。

 「募金額より、番組制作費の方が高いのだから、それを寄付しろ」とか「マラソンは100キロ走っていないヤラセだ」などという批判の声が毎年のように上がっている。毎年この時期になると、ネットは常に24時間テレビ叩きのネタを探している。

(Wikimedia)
(Wikimedia)
 だから、感動ポルノも、24時間テレビを叩くための単なる道具にすぎない。そしてこの道具は極めて使いやすい道具であった。これを持って叩けば「24時間テレビは障害者の人権を損なっている」と、番組の趣旨そのものを直接叩くことができる。だからネットはこの「感動ポルノ」という言葉に飛びついたのである。

 ところで、この「感動ポルノ」という言葉はどこから生まれたのだろうか。

 いくつかの記事を見ると、この言葉の由来は2014年12月に亡くなったコメディアンでジャーナリスト、そして自身も障害を負っていたステラ・ヤングが、TEDで語った内容にあるという。

 彼女は周囲の人たちや様々なメディアで、障害者が「障害というマイナスをはねのける、ポジティブな存在」として特別扱いされ続けていることを指して「感動ものポルノ」と称した。ポルノという言葉を使った理由は「ある特定のグループに属する人々を、他のグループの人々の利益のためにモノ扱いしている」様子を指したという。

 ネットでは感動ポルノというものが、一方的に報じる側、すなわちメディア側だけの問題にされているようだ。しかしテスラはポジティブなものとしてしか障害者を受け入れられない「周囲の人達」の態度も問題にしていた。感動ポルノの論理は、決してメディアという報じる側だけへの批判ではなく、障害者を受け入れる周囲に対する疑問でもある。