彼女ら彼らと毎日関わる、支援者や教師


 では誰が「代弁」するか。
 それは湯浅氏や藤田氏ではない。彼らはあくまでも「良質な外部」なのだ。もちろん片山さつき氏でもない。

 では、雨宮処凛氏だろうか。雨宮氏のこのエッセイを読むと一見代弁者のように勘違いしてしまうが(すべての貧困バッシングは、通訳すると「黙れ」ということ~「犠牲の累進性」という言葉で対抗しよう~の巻 - 雨宮処凛)、ここには「ロマンティック・ヒューマニズム・イデオロギー」(ロマンティック・ラブ・イデオロギーのパロディです)といってもいい、過剰な人権主義ロマンのようなものがある。

 この過剰な人権主義ロマンは、一人ひとりの貧困者の単独性(世界でただ1人のその人のあり方)を隠し、ヒューマニズムを主張したいための道具として使われるという皮肉な結果になる(いずれ別に詳述します)。

 アンダークラスの人々を誰が代弁するか。

 僕は今のところ、それは、「現場」で彼女ら彼らと毎日関わる、支援者や教師だと思っている。現場の支援者や教師は、日々の忙しさも大事ではあるが、ある意味、貧困若者を「どう代弁するか」という最重要な仕事を担うと僕は考える。有名人が解説する段階は終わっているのだ。

(2016年9月3日 Yahoo!ニュース個人「子ども若者論のドーナツトーク」より転載)