北条かや(著述家)

それでも炎上事件を取り上げる理由


 正直に告白すると、この原稿を書くのは気が重い。NHKが報じた「子供の貧困」特集で、家庭の窮状を訴えた高校生のツイッターが特定され、ネットで集中的にバッシングされた件についてである。自身もよくネットで炎上してしまう者として、誤解に基づく記事や中傷的な書き込みが一生ネットに残ることの気持ち悪さ、誰を責めて良いのかわからず結局自分をすり減らす虚しさなど、炎上が文字通り「業火で身を焼かれるような苦しみ」であることが思い出される。この件について書くこと自体が、バッシングされた彼女を苦しめる「炎上」に火をくべることにならないか。だからできるだけ彼女の個人情報(ツイッターやテレビでの発言など)には触れず、炎上した細かな内容についても説明を避ける。その上で今回は、少し別の視点からこの問題を掘り下げることにする。
 NHKの番組に登場した女子高生のツイッターが暴かれ、叩かれる様子は見ていていたたまれなかった。番組が終了した直後から、私のツイッターのタイムラインには次々とこの件に関するRTが流れては消え、それらの扇情的なタイトルを見るだけでも嫌な気持ちになる。以前から生活保護受給者に厳しい目を向けていた片山さつき議員も便乗し、まるでその女子高生を非難するかのようなツイートを重ねた。大々的に「NHKのやらせ」とか、貧困が「女子高生自身の問題」と報じたネットメディアもある。万が一、NHKの報道に問題があったとしても、この個人バッシングは一体なんだろう。

 後日、バッシング記事が根拠のない「捏造」であることが露呈し、議論は一気に「貧困の当事者を叩くのはよくない」との方向へ傾く。炎上の的になった彼女を擁護する意見も相次ぎ、人権侵害であるとの見方も広まっているが、彼女が受けた傷は計り知れない。ネットには、中傷記事やコメントが一生残るのである。大きなリスクを負って訴訟を起こしても、表現の自由との兼ね合いで削除できないものは多い。ネットに溢れる「自由な言論」は、簡単に責任を問えないのである。どうしてこんなことになってしまったのか。

 私たちはどこかで、自分の感情を吐き出したい、発散させたいと思っている。匿名でどろどろした感情を発信できるインターネットは、このカタルシス願望を叶えてくれる。今回の件にかぎらず、ネットに溢れる罵詈雑言は、「匿名で感情を吐き出すことの快楽」に裏付けされている。

 何かを吐き出したい私たちは、分かりやすいコンテンツを求める。分かりやすいコンテンツとは、容易に理解できそうで、ゴシップ的な興味をそそり、楽しめそうな内容だ。たとえば「貧困」「女子高生の私生活」「NHKのやらせ疑惑」。それらはコンテンツというより、もはや記号=ある種の属性に還元されている。炎上に加担する人は、安易で分かりやすい記号に反応しているのである。テレビに出て窮状を訴えた彼女の人生や、貧困問題について深く考える必要はない。「女子高生」「やらせ」「NHK」などの記号を消費し、上から目線で論評することで、世間と一体化した「強い自分」がカタルシスを得られればいいのだから。今回の炎上に加担した(しているかもしれない)1人として、筆者もまたこの批判を免れ得ない。