田原総一朗(ジャーナリスト)

 いま、書店には「田中角栄」本がずらりと並んでいる。もはや「田中角栄待望論」というべき現象だ。

首相就任後初となる記者会見を行った田中角栄首相=昭和47年7月19日
首相就任後初となる記者会見を行った田中角栄首相=昭和47年7月19日 政治評論の世界での僕のデビューは『中央公論』1976年7月号の「アメリカの虎の尾を踏んだ田中角栄」だった。

 その年の2月、田中さんはロッキード事件で5億円を受け取ったとして逮捕された。僕はこの成り行きに強い疑問を持った。そこで周辺に徹底取材し、「田中はアメリカに陥れられた」、すなわち「虎の尾を踏んだ」と書いたのだ。

 僕が会った田中さんは、想像したとおりの強烈な人だった。田中さんに会うと、誰もが彼に引きつけられた。僕が日本の政治に強い関心を持ったのも、この「田中角栄」という人物がきっかけだ。

 1981年、田中さんにインタビューする機会を得たときのことだ。僕は、田中さんの自宅兼事務所である通称「目白御殿」を訪れた。ところが、約束の時間を1時間過ぎても田中さんが現れない。当時の秘書、早坂茂三さんにどうしたのかと尋ねると、「実は角さんから『田原についての資料を一貫目、集めてくれ』と言われましてね」と返ってきたのだ。

 一貫目とは、およそ3.75kgである。本当にそんなに集めたのかはわからない。しかし、ともかく田中さんがその資料を読み込んでいて、だから遅れているというのだ。豪放磊落のようでありながら、一体どれだけ繊細な人なのか。僕はそのとき、改めて「田中角栄」に興味を持ったのである。

 田中さんは、よく「コンピュータ付きブルドーザー」と評された。「ブルドーザー」は、その類(たぐい)まれなる行動力ゆえであり、「コンピュータ」である所以(ゆえん)は、とてつもない記憶力のよさにあった。

 田中さんは、『広辞苑』や英和辞書、漢和辞典など片っ端から暗記し、暗記し終えたページは食べてしまったという。「六法全書」には特に詳しかった。議員立法33本という数字は、彼の後にも先にも超えた議員はいない。記憶力は人心掌握術に大いに役立った。たとえば、官僚の入省年次、誕生日、結婚記念日などをすべて記憶しており、欠かさず贈り物をしたという。

 後の首相、竹下登さんも、その掌握術を真似ようとしたが、彼にはそこまでの記憶力はなかったそうだ。だから竹下さんは、覚えておきたいことをすべて書きつけておいた。このメモは「竹下の巻紙」と呼ばれていた。