鈴木哲夫(政治ジャーナリスト)

 小泉進次郎衆議院議員と田中角栄元首相。二人の名前からすぐにイメージする言葉は「大衆」である。「大衆」とは社会で大部分を占める勤労者など一般の人たち、政治学の分野では指導層に対する一般の人々とされる。

 “角栄”と言えば、庶民宰相として、その生い立ちから、風貌、演説、地方に分け入った政策まであらゆる要素が「大衆」にマッチし、「大衆」の中で大きな支持を得た政治家である。

18歳、19歳の新有権者に取り囲まれながら支持を訴える小泉進次郎氏=6月26日、奈良市の近鉄大和西大寺駅北口
18歳、19歳の新有権者に取り囲まれながら支持を訴える小泉進次郎氏=6月26日、奈良市の近鉄大和西大寺駅北口


 それに対して進次郎氏は、一見まったくイマ風の青年、世襲議員でもあり自民党のスターだ。いかにも「大衆」とはかけ離れた政治のエリート舞台にいそうな雰囲気だが内実はまったく違うと私は思うのだ。むしろ、いまの自民党の中でも、「大衆」を知り尽くした数少ない政治家ではないか。

 実は、進次郎氏は自民党の中でも選挙応援要請がトップクラスだ。全国を飛び回り、街宣車をあっという間に1000人規模の聴衆が囲み、黄色い声援も飛ぶ。人だかりに入ると握手攻め。

 一見、その姿は華やかで凱旋の光景だが大事な視点を見落としている。それは、彼が応援に呼ばれる選挙というのは、実は逆にどれも自民党候補が厳しい選挙なのである。「負けているから彼が呼ばれる」(自民党選対幹部)のだ。言い換えれば、進次郎氏は応援に入る選挙区で、自民党の誰よりも「自民党への批判やいまの逆風」と「大衆の声」を実感するのである。

 かつて、一時代、同じように自民党の選挙応援弁士として引っ張りだこだった故橋本龍太郎氏。番記者をしていた私にこんなことを言った。
「全国から呼ばれて人気者でいいですねとか思ってるんだろうけど実は違うんだよ。俺が呼ばれるのは厳しい選挙ばかり。応援に行くと、いま自民党のどこが悪いか批判の風が読める。街宣車の前の方は動員の人たちだから声援もある。でも俺は、演説しながらずーっと遠くを歩いている人が足を止めるのかを注意深く見るんだ。メシを食いにお店に入ったら店員さんを捕まえて自民党はどうかとか聞く。そして、東京に戻ったら『これはやっちゃいけない、こうしたほうがいい』と幹事長や総理に必ず報告するんだ」

 最近では全国から応援要請が来る石破茂前地方創生相なども進次郎氏と同じだろう。なるほど、「大衆」のいまの声を誰よりも全国を行脚し肌で感じているから、進次郎氏も石破氏も、よく永田町では自民党執行部批判などを口にする。「いま解散すべきじゃない」「自民党は感じ悪い」等々。これらは何も目立ちたいからと非主流派を装っているわけではないのだ。誰よりも「大衆」に近いからこそ口をついて出る批判なのだ。