向谷匡史(作家)


 田中角栄も、小泉進次郎も、ともに二十八歳で議員バッチをつけた。角栄は再来年、生誕百年を迎えるが、節目の時代を前に、進次郎の総理待望論が日増しに高くなっている。いつの時代も英雄は、こうした因縁に彩られて、その姿を現すということか。

 昨年から続く〝角栄ブーム〟は、当然の帰結として「現実」に私たちの目を向けさせた。「角栄はいない。ならば誰が角栄たりうるのか」――ということだ。すなわち、私たちが待望しているのは「角栄」ではなく、角栄が持つリーダーシップであり、ビジョンであり、実行力ということなのだ。

「篠原文也の直撃!ニッポン塾」で参加者の質問に答える小泉進次郎内閣府政務官=2015年10月30日、東京・平河町のホテルルポール麹町(酒巻俊介撮影)
「篠原文也の直撃!ニッポン塾」で参加者の質問に答える小泉進次郎内閣府政務官=2015年10月30日、東京・平河町のホテルルポール麹町(酒巻俊介撮影)
 裸一貫の叩き上げと、政治家一家のサラブレッド育ちと、出自はまるっきり異なるが、二人は驚くほどよく似かよっている。育った家庭環境において〝不幸〟を背負っていること、そして演説の手法、さらに「信念」や「国民目線」といった政治観まで、そっくりである。進次郎が角栄を手本にしたのか、結果としてそうなったのか、あるいはその両方かはともかく、昭和と平成とを問わず、閉塞感の漂う時代に待望される政治家像は同じということだ。戦争を持ち出すまでもなく、「歴史は変わらない」という認識に立つなら、時代という背景が変わるだけであって、待望される政治家像もまた、本質は変わらないということになる。

 では、進次郎は「平成の角栄」になれるのか。二人の共通点について、メディアでの発言とエピソードから、いくつか例をあげてみよう。

 まず、家庭環境の〝不幸〟。角栄は新潟の貧農に生まれ、経済的事情から中学進学を断念して十五歳で上京。住み込みで働き始める。一方の進次郎は、一歳のときに両親が離婚して、父・純一郎側に引き取られる。母の面影を探してか、夕方になるとハンカチをくわえて離さない子供だったともいわれる。アットホームな環境でなかったということにおいて、両者は共通する。

 初出馬で辛酸を舐めるのも同じだ。進次郎が父・純一郎の引退を受けて初出馬した二〇〇九年は、民主党に強烈な追い風が吹いていた。しかも、世襲批判を浴びての立候補とあって、ヤジを飛ばされ、名刺を破られ、ペットボトルまで投げつけられている。何とか当選は果たしたものの、選挙の厳しさは身にしみたことだろう。

 一方の角栄も、ヤジと罵声を浴びた。演説はシロウト以下。あせり、緊張すると吃音のクセが出てくる。必死になれはなるほど、うまく言葉が出てこない。こうして角栄は落選する。

 進次郎は有名候補、そして角栄は無名候補であるがゆえに逆風にさらされた。立場は対極にあっても、舐めた辛酸は同じであり、緒戦のこの体験が有権者の支持を第一とする姿勢にあらわれている。

 進次郎は、時間をくっては地元をくまなくまわる。祭りに顔を出せば、取材に来たメディアそっちのけで地元の人たちに話しかけ、親しく会話する。「メディアより、私たち」――という処し方が、有権者の気持ちをくすぐる。

 角栄も同じだ。目白の田中邸には、東京見物をかねて新潟の選挙区からバスを連ねてやってくるが、昼時にぶつかればみんなを座敷に呼び入れ、食事をともにする。官僚が順番待ちしていてもお構いなしで、このことが「やっぱり、おらが地元の角さん」という親近感につながっていく。