ハイセーヤスダ(フリーライター)

 今年7月、急性呼吸不全で亡くなった大橋巨泉さんは今年4月以降、在宅介護の道を選んだ。自宅で最期を迎えたいという人に多い選択で、巨泉さんも約11年間の長い闘病生活のせいだったか、覚悟を決めていたのかもしれない。ただ、死後に妻、寿々子さんが「薬の誤投与」が死因のひとつだったということを明かして悔やんだ。医師からも直接「モルヒネ系の鎮痛剤の過剰投与による影響」を聞かされたのだという。生前の巨泉さんが背中の痛実などを訴えたことから鎮痛剤が投与されたが、その結果、意識が薄れて歩行もできなくなったという。巨泉さんの在宅医は「皮膚科の専門医」だったとのことで、そのあたり処置が適切ではなかった可能性もある。
2001年7月、参院選で当選を果たし、寿々子夫人(左)から花を胸に飾られる民主党比例代表の大橋巨泉さん(浜坂達朗撮影)
2001年7月、参院選で当選を果たし、寿々子夫人(左)から花を胸に飾られる民主党比例代表の大橋巨泉さん(浜坂達朗撮影)
 ただ、結局のところ、後に引き返せない死後に出てくる話では、何かやり直しができるわけではない。5年前、筆者の運営する編集プロダクションにいた元編集者の女性Aさんの訃報が届いた。退社後の年始に届いたハガキが年賀状ではなく、「娘が生前お世話になりました」と書いてあり、慌てて連絡すると、母親からAさんが急死したということを知らされた。聞けば、九州の実家に滞在中だったAさんは強い胃痛を訴え地元の病院に緊急入院したところ、その翌朝には病院から死亡の連絡があったのだという。医師や看護婦はその急変のについての経緯を十分に説明しきれず、母親は医療ミスを疑った。実際に医療ミスによる死だったかは分からないのだが、病院側の対応に強い不信感が残ったのは事実だ。それでも、相談した弁護士や専門家は「医療ミスは立証が難しい」として訴訟など法的な抗議を起こすには至らず、泣き寝入りしたという。死の後に医師への不信感が残ったという意味では巨泉さんのケースと同じだ。

 6月、歌舞伎役者の市川海老蔵さんは、妻の小林麻央さんが乳ガンであることを発表。海老蔵さんはマスコミへの追跡取材を強く拒んでいたが、これは妻への配慮だけでなく、病院側との距離感も理由だったといわれる。実際にその後、一部週刊誌では治療方針を巡って海老蔵さんが一部の医師と対立、転院したことが伝えられた。信頼できる医師でなかったらそういう選択肢もあるから、記者が情報を小出しにすることを嫌がったのかもしれない。

 筆者がかつてテレビマンだった時代、現場で優しく声をかけてくれた元フジテレビのアナウンサーの故・逸見政孝さんは、仕事合間の雑談の中でたまたま「医師選びはしっかりとね」と言っていたのだが、93年9月にテレビカメラの前で「私がいま侵されている病気の名前、病名はガンです」と告白。闘病の決意表明をした。医師選びに賢明だった逸見さんだけに、その覚悟の強さだけでなく、信頼できる医者が付いていることを感じたものだ。