【戦国夫婦の生き方 松平定知】(1)


 今回の連載では「戦国夫婦の生き方」に迫りたい。1回目は、NHK大河ドラマ「真田丸」の主役、真田父子3人の場合である。

 父、昌幸の妻(山之手殿、寒松院)は、「京の公家出身説」や「武田信玄の養女説」「石田三成の妻と異母姉妹説」など諸説ある。嫡男、信之(信幸)の妻は、徳川四天王の1人、家康の信頼が最も厚い本多忠勝の娘(小松姫)。また、幸村(信繁)の妻は、石田三成の大親友、大谷吉継(よしつぐ)の娘(竹林院)と、ともに「有名人」の娘である。

 父子3人の最大のターニングポイントは、いわゆる「犬伏の別れ」だ。天下分け目の「関ヶ原の戦い」の直前、世の中がどう転ぼうとも真田家が存続するようにと、昌幸が息子2人を敵味方に分かれさせた、あの場面だろう。

 でも、あの案は「犬伏」で突如ひらめいたのではない。智将・昌幸は、その10~15年ほど前に、個人的に家康が好きか嫌いかの感情論とは別に、一武将として「これからの日本は家康だ」と読み切った時があったのではないか。近い将来、家康と非家康との戦いが起こるとも予想し、水面下で準備を始めた。

 息子の「嫁取り」は、その最も重要な作戦と昌幸は位置付けた。

 昌幸は「今後は家康」と思っているから、嫡男はまず「家康側」に置く。その嫁は、家康の側近中の側近の娘に絞る。つまり、この結婚は偶然の成り行きではなかった。この徳川四天王の娘は信之と結婚後、上田城を守り、松代城を守り、幕末まで真田家を立派に継続させる礎を築いた。