茂木健一郎(脳科学者)

 移民・難民問題が、世界を揺るがせている。アメリカ大統領選でヒラリー・クリントン氏と接戦のドナルド・トランプ氏は、メキシコとの国境に壁を作るという主張を変えていない。イギリスのEUからの離脱の背後には、移民規制の問題があった。そして、ドイツのメルケル首相は難民問題における寛容な姿勢が国内で批判を浴び、「時計の針を戻したい」と発言した。

 戦乱などで荒廃した地域からより安全な生活を求めて人々が移動することは、仕方がない。そのような人を前にして、人道的な配慮をするのも、現代の人権感覚から見れば当然のことだろう。

 一方、人間には、異質な他者に対する警戒心もある。さまざまな国で、移民・難民問題をきっかけに、排外主義や、ヘイトクライムなどの事象が見られるのも、人間性の否定し難い一部だということになるだろう。

レバノン北部トリポリ近郊の難民キャンプで医師の診察を待つパレスチナ難民=2016年3月(国連提供)
レバノン北部トリポリ近郊の難民キャンプで医師の診察を待つパレスチナ難民=2016年3月(国連提供)
 人道主義に基づく「寛容」か。それとも、「排外主義」か。識者の論も、メディアの報じ方も、二つの極の間で揺れ動きがちだが、現実は、もちろん、もっと複雑な「方程式」の中にある。

 今、移民・難民問題を、現実に即して考えてみよう。人道主義から受け入れるにしても、無制限に流入させるのは、実際的でも、持続可能でもない。社会の物理的、経済的、人的キャパシティを超えて受け入れると、結果として、軋轢が生じるし、さまざまな事件も起こる。

 その一方で、「ゼロ回答」も、人道的に無理がある。戦乱で罪のない子どもたちが生活の基盤を失い、寒さや飢えで震えている時に、手を差し伸ばしたくないという人はいないだろう。

 課題は、移民・難民受け入れのプログラムの定量的な把握にある。単に、「かわいそう」か、「拒否」かの二元論で行くのではなく、具体的に、どれくらいの人々を、どのような時期に受け入れられるのか、という定量的なモデルが必要なのだ。

 移民・難民の受け入れは、複雑な社会・経済的マトリックスの中で起こる。移動、食料、住居などのロジスティックスは、物理的な次元である。さらに、滞在が長期になれば、社会的、経済的な受容のコストがあり、制度設計の問題がある。

 一番課題になることの一つは、「言語」だろう。どの国でも、その社会の一部として受け入れる上では、どれくらいその国の言語を理解し、話し、書くことができるかということが重要なパラメータとなる。

 しかし、言語の習得は、一筋縄ではいかない。かなり良いプログラムを組んだとしても、習得には時間がかかる。さらに、習慣やマインドセットなど、社会の中で適応するためのさまざまな「ソフトウェア」を身につけるためには、それなりの努力が必要である。