やまもといちろう(ブロガー、投資家)

 世の中いろいろと興奮することがあるわけなんですけど、沖縄の事例なんかは特に興味深いわけですね。

 最近だと、高江のヘリパッド建設で、左翼が集まってわいわいやっているのを見ると、ああそういう問題もあるんだなと思うわけですよ。TBSの報道特集や、NHKの番組を興味深く拝見しておるのですが、毎回沖縄の問題は起きるごとにああでもないこうでもないと騒いだ結果、結局何も解決しないで両陣営に腹立たしい思いが残る、という寄せては返す波のようになってますね。

 もちろん、関係者同士は合意や妥結に向けての努力を続けているわけですが、150人程度の沖縄県東村の高江という集落の人々の生活を巡る問題や、沖縄に面積で見て過剰な負担を強いて日本の安全保障が成り立っているという実態については、本土で暮らす人間としてどうよりそうべきなのかなという気持ちは常にあるのです。
沖縄県庁で、中嶋浩一郎沖縄防衛局長(左)に抗議する安慶田光男副知事=7月22日午前
沖縄県庁で、中嶋浩一郎沖縄防衛局長(左)に抗議する安慶田光男副知事=7月22日午前
 どうしてもこの手の話はトロッコ問題というのが存在するわけでして、左翼の大好きな白熱教室的正義感の世界があります。150人の高江の人たちの生活と、日本の安全保障を考えたとき、公共の利益のために高江は犠牲になるという理屈をどう捕らえるか、みたいな話です。ぶっちゃけ、この手の話題は別に沖縄の米軍基地関連だけじゃなくて、原子力発電所から保育園の新規建設まで、あらゆるところに存在し、それが「政治過程だよね」という。

 必然的に、筋論として沖縄にあるべきかみたいなことを左翼は言うわけですし、鳩山由紀夫元首相も沖縄県民に対して「最低でも県外」とか話がこじれ、期待を持たせたあとで、最終的に「やっぱ沖縄に」と鳩山さんが腰砕けになってしまうわけですよ。これには同情を禁じ得ないんですが、いわば「基地のない沖縄を」というスローガンも、つまりはそこに沖縄がある限り基地が欲しいよなという話になってしまうわけですね。で、沖縄である必要はない、みたいな取ってつけたような説明を真に受けて、九州南部や西部に米軍基地をという話が出てくるわけなんですけど、鳩山さんのときがそうだったみたいに「やっぱ駄目だわ」となるんですよ。そして、ふりだしに戻る。

 で、肝心の日本国民はというと、この普天間基地や高江の問題については「興味なし」なわけです。検索キーワードで言っても30位内外、安全保障は大事だ、という国民はいても、沖縄の基地問題に興味関心があると回答する割合は、以前からだいたい一貫して0.8%ぐらいです。ぶっちゃけ、とても低い。ただ、低いからといって無視していい話であるはずもなく、そこに人が住み、生活しているからには彼らの生活の保障をどうしたら良いのかも含めて、善後策を考えないと解決なんざ絶対にしないわけですね。

 ただ、そういう沖縄の基地問題が、なぜか左翼というか反権力、反国家の人たちのお祭り会場になっていたりするわけですよ。もちろん、平和は大事ですし、沖縄に基地を押し付けちゃいけないぞという理屈はそのとおりで、沖縄県民、とりわけ基地に隣接している人たちに不安な思いをさせてはいけないという大前提があったうえでですけど、どういう理由か反権力、反国家的な運動のひとつに組み込まれて、成田闘争みたいな状態に祭り上げられてしまうのはどういうことなのかと思うわけです。

 出口なきイデオロギー論争になってしまうのは困りますし、状況が変わって話が二転三転するごとに政府も沖縄県民も振り回されているのを見ると、きちんと法的手続きをして、問題となる地域に住む人たちの生活の保障もしっかり行って、ダム建設での村閉めや用地収容を粛々とやるのが一番よいのではないかと思ったりもするんですが、どうなんでしょうか。まあ、そう簡単にいかないからいつまでも揉めているのかもしれませんが。