有田芳生(参議院議員)

 沖縄県東村高江に行く車中にあっていささか気が重かった。高江とはオスプレイのためのヘリパッド建設が進められている土地だ。「標的の村」というドキュメンタリー映画にもなったように、辺野古とともに基地問題の最先端である。那覇から車で3時間あまり、その日は台風13号が発生し、強風がサトウキビの茂みを激しく揺さぶっていた。

 やがて「N1裏」と呼ばれているブルーのテントが見えてきた。車を降りてテントに入ると、昼どきだったので、食事を配る人たちが忙しく動いている。テントの端っこにはじっと座っている高齢者たちがいた。あとで聞けば普天間飛行場がある宜野湾市から支援にやってきた人たちだった。この日も逮捕者が出たので、責任者の山城博治さんは抗議のため警察署に向かったので不在だった。高江の工事現場には沖縄県警だけでなく、警視庁をはじめ、全国から警察官が動員されている。そういえば高江に向かう道すがらすれ違った警察車両のナンバーは、「なにわ」「川崎」「多摩」などであった。この日、運転速度が遅いことを理由に女性とトラブルになり、警察官がのけぞったため公務執行妨害だとして女性を逮捕したのは福岡県警だった。
ヘリパッド建設反対派の集会で話す山城博治さん(左手前)=7月23日、沖縄県東村高江
ヘリパッド建設反対派の集会で話す山城博治さん(左手前)=7月23日、沖縄県東村高江
 この女性は名護署から翌日釈放されるのだが、私がテントに行ったとき、短い報告集会が行われることになった。案の定、私の危惧は当たった。国会議員として挨拶を求められたのだ。そしてこんな趣旨を語った。永六輔さんは沖縄から東京はよく見えるが、東京から沖縄は見えないと何度も言っていた。作家の井上ひさしさんが「砥石としての沖縄」と書いたのは、政治家だけでなく、日本人それぞれの思想が沖縄を通して問われているという意味でしょう。拍手が起きたのは次のくだりだった。民進党の代表選挙がいま行われているが、ここで見たこと、聞いたことを3人の候補者に対して質問状として出すことにします……。私のあと米軍の退役軍人が挨拶をした。雨風が強まるテントのなかで、高江で続く基地反対運動についてある男性から説明を受けた。あとで聞けば普天間飛行場の騒音被害の責任を問う裁判を30年も続けている原告だった。私が「気が重い」というのは、こうしたことだった。辺野古にしても高江にしても、沖縄戦をはじめとして、沖縄の闘いと暮らしを重ねる歴史的経験もせず、何かを語ることに後ろめたさがあるからだ。

 国会議員である以上は国政にかかわる課題について求められれば語らなければならない。集会があれば、さっと顔を出して挨拶しては次の会合へ、さらに次の会合へと出かけていくような議員にだけはなるまいと自覚をしてきた。重心を低くしなければならないと思っているからだ。だから辺野古や高江について語るにしても、抑制的でなければならない。これまでも、これからもそのスタンスを変えないだろう。地元選出議員ならいざ知らず、沖縄問題が世界のすべてであるかのように語るならばバランスを欠くだろう。しかしそれが政治家なのかも知れないとも思ってしまう。結論からいえば自分は自分なりのスタンスで行動し、主張していけばいい。落ち着くところはそんなところだ。