「たかがノーベル賞」的風土も重要 社会に役立たない研究に宝あり

『武田邦彦』

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武田邦彦(中部大学特任教授)

 今年のノーベル医学・生理学賞は、東工大の大隅良典君に決まり、3年連続で日本人が受賞した。日本人の受賞は素晴らしいことでもあり、筆者にとっても出身の東大教養学部基礎科学科の後輩から、初のノーベル賞受賞者が出たことは本当に誇らしく思う。なぜ世界中の優れた学者が切磋琢磨している中で、大隅君が受賞できたのか。そのことについて同じ学科で勉学した一人として見解を述べたいと思う。

 第二次世界大戦が終わり、世界中の学者が研究に没頭できるようになったのは戦争が終わってから10年ほどたったころであった。そのころ、30歳前後だった日本の優れた学者は大学を建て直し、研究を拡大し、主として米国や欧州との関係を深めていった。それからさらに10年、わが国の主要大学に入学した学生は苦心惨憺した教授陣の薫陶を受けることになる。
花束を受け取り顔を見合わせる大隅良典・東京工業大教授と妻の萬里子さん
 ノーベル賞は学問の世界では「最高峰」と言われるが、しょせん欧米の社会のモノであり、その審査手法についても欧米の考え方、彼らが重要だと思う学会賞の取得歴、それに審査員との人間関係などの利害で決まる。そのため、過去には「日本語の論文しか出していなかった」日本の研究者が受賞を逸したという出来事もあった(1996年フラーレンの受賞)。

 つまり、21世紀に入って日本人のノーベル賞受賞者が増えた原因としては、戦後、学問の世界にも自由で解放された雰囲気がみなぎり、優れた教授陣が若き学生を育て、積極的に欧米の学会に出席させたという、ノーベル賞の受賞に必要な活力が具現化されていたことが大きい。

 例えば、大隅君の受賞にしても、本人の才能や努力は当然であるが、それに加えて、新しい分野の開拓を目指す「基礎科学科」という独特の理念による教育を受け、故今堀和友教授というノーベル賞級学者の研究室で学ぶことができたという恵まれた研究環境も大きかっただろう。

 また、ノーベル賞の対象とする学問領域という意味では18世紀のニュートン以来、マックスウェル、ダーウィン、ギブス、アインシュタイン、キュリー、ボーア、ポーリング、ワトソン・クリックへと続いた基礎学問の世界は一段落し、それ以後は応用分野が花開いたことで、実務指向の日本人に有利となった側面もある。

 ただ、今年の化学賞は基礎より応用研究が重視された結果だったが、基礎分野に優れた業績が多い中で当然違和感を覚えたし、本来であれば受賞者は欧米の3人ではなく、日本人ではなかったのかとの疑問すら感じる。そう、いまだ欧米が「強い」のである。

 それでは日本人のノーベル賞受賞は今後も続くだろうか? ノーベル賞級の業績に達する人の多くが、大学教育を受けてから40年程度を要する。日本の大学研究と教育は1990年代に中央官庁と国の委員会に出席することを本務とする東大教授、それにマスコミが支配し、日本の学術研究は崩壊したと言っても過言ではない。その象徴事例として挙げられるのが、「役に立つ研究」を重視する世論と「国際的に活躍できる研究者の養成」の二つであろう。それが顕著に表れ始めたのが1990年ごろであるので、2020年以後は受賞者が減り、30年以後は日本人の受賞者はほとんど出なくなることも考えられる。
たかがノーベル賞、されどノーベル賞

 もともと学問(特にノーベル賞の受賞の対象となるような新しい概念を作り出す学問)というのは、研究を始めるとき、それが将来の社会に「役に立つか、立たないか」は誰も判定できない。現在の社会は過去の学問で成り立っているのだから、「新しい世界を開く知」が未来の社会に役立つことを他人に説得することは論理的にはあり得ない。
オートファジーの研究で知られる東京工業大学の大隅良典栄誉教授
 例えば、20世紀の初めにオンネスが発見した「超伝導現象」はそれまでの物性物理で明らかになっていた「低温ほど電気抵抗が下がるのは、原子核の運動が小さくなるからである」という常識を覆した。もし、オンネスが超伝導現象を発見する前の日に、現在の日本の文科省などが行っている「研究評価」が適用されていたら、直ちに研究は中止されたであろう。

 現在、日本では「役に立つ研究」にしか研究資金は潤沢に出ず、その審査はノーベル賞を取れないような社交的な東大教授を中心として行われている。その結果として日本の研究資金の配分は極端に東大に偏している。

 そしてもう一つ。今や日本社会では当たり前になっている「英語教育の充実」も致命的になるだろう。これもまた当然のことであるが、「国際的な活動」は「本来の学問」が優れていることが前提であり、特に機械や電気などの分野では「コミュニケーションに劣る学生」ほど優秀である傾向が強い。これはひとえに語学と研究とでは頭脳の構造が異なるからに他ならないが、だからこそ英語教育の充実が声高に叫ばれることは「内容のない口先だけの人材」を増やすことにつながりかねない。

 そして、クールビズに代表されるように「皆が横並びにすること」に従わない人を不当に排除し、個人の自由までもいろいろな形で拘束することは、自由な発想と研究者の死後30年を経て評価されるはずであろう、本当の意味での学問の成果を潰すことにもなる。

 繰り返しになるが、ノーベル賞はしょせん欧米の「産物」であり、研究を始めたばかりの若き研究者は「ノーベル賞を取るために」毎日を過ごしているわけではない。あくまで彼らの知的衝動が研究意欲を高めているのであり、言うまでもなく日本社会はそのことをいま一度、深く理解しておくべきである。「たかがノーベル賞、されどノーベル賞」という風土もまた学問の発展には必要なのである。


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