もともと学問(特にノーベル賞の受賞の対象となるような新しい概念を作り出す学問)というのは、研究を始めるとき、それが将来の社会に「役に立つか、立たないか」は誰も判定できない。現在の社会は過去の学問で成り立っているのだから、「新しい世界を開く知」が未来の社会に役立つことを他人に説得することは論理的にはあり得ない。
オートファジーの研究で知られる東京工業大学の大隅良典栄誉教授
オートファジーの研究で知られる東京工業大学の大隅良典栄誉教授
 例えば、20世紀の初めにオンネスが発見した「超伝導現象」はそれまでの物性物理で明らかになっていた「低温ほど電気抵抗が下がるのは、原子核の運動が小さくなるからである」という常識を覆した。もし、オンネスが超伝導現象を発見する前の日に、現在の日本の文科省などが行っている「研究評価」が適用されていたら、直ちに研究は中止されたであろう。

 現在、日本では「役に立つ研究」にしか研究資金は潤沢に出ず、その審査はノーベル賞を取れないような社交的な東大教授を中心として行われている。その結果として日本の研究資金の配分は極端に東大に偏している。

 そしてもう一つ。今や日本社会では当たり前になっている「英語教育の充実」も致命的になるだろう。これもまた当然のことであるが、「国際的な活動」は「本来の学問」が優れていることが前提であり、特に機械や電気などの分野では「コミュニケーションに劣る学生」ほど優秀である傾向が強い。これはひとえに語学と研究とでは頭脳の構造が異なるからに他ならないが、だからこそ英語教育の充実が声高に叫ばれることは「内容のない口先だけの人材」を増やすことにつながりかねない。

 そして、クールビズに代表されるように「皆が横並びにすること」に従わない人を不当に排除し、個人の自由までもいろいろな形で拘束することは、自由な発想と研究者の死後30年を経て評価されるはずであろう、本当の意味での学問の成果を潰すことにもなる。

 繰り返しになるが、ノーベル賞はしょせん欧米の「産物」であり、研究を始めたばかりの若き研究者は「ノーベル賞を取るために」毎日を過ごしているわけではない。あくまで彼らの知的衝動が研究意欲を高めているのであり、言うまでもなく日本社会はそのことをいま一度、深く理解しておくべきである。「たかがノーベル賞、されどノーベル賞」という風土もまた学問の発展には必要なのである。