カネではタフな研究者は育たない 日本人がノーベル賞を取れる理由

『上昌広』

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上昌広(医療ガバナンス研究所理事長)

 大隅良典氏がノーベル生理学・医学賞を受賞した。日本人のノーベル賞受賞は三年連続。25人目だ。12年の山中伸弥氏、昨年の大村智氏と生理学・医学賞の受賞が続いている。日本の医学研究のレベルが世界で評価されたことになる。韓国では「日本を見習え」と議論されているらしい。一方、日本ではノーベル賞受賞者が出るたびに「もっと基礎研究に投資を」「若き研究者に活躍の場を」と有識者たちがコメントする。
東京工業大学の大隅良典栄誉教授
 私も、日本の将来を考えれば、基礎研究に投資すべきだと思う。ポスドクや助教たちの待遇は改善すべきだ。ただ、研究者が声高に待遇改善を叫んでも事態は改善しない。「俺たちは好きな研究をやるんだ。これは日本に大切なんだ。もっと税金をまわせ」と言っているだけで、周囲はしらけてしまう。社会保障費の切り詰めをやっている日本で、これ以上、基礎研究に回す税金などないというのが実態だろう。

 我が国の研究者が考えなければならないのは、この状況でどうすべきかだ。高度成長期に国の財政が豊かだった時代のモデルは、もはや通用しない。私は、各自が置かれた境遇に適応できるタフな研究者を育てることだと思う。

 この点で、私はノーベル生理学・医学賞を受賞した三氏の経歴に注目する。特に幼少期から大学院時代までの過ごし方だ。研究者に限らず、個人の価値観や実力は20代までにほぼ決まる。その間を、どのように過ごすかが重要だ。特に、この期間に、どのような集団に所属し、どのような人々に出会うかだ。私は、三氏に共通するのは文化レベルの高い環境で育ち、良き仲間に恵まれたことだと思う。

 例えば、山中氏は東大阪市生まれ。父は同志社大工学部を卒業し、町工場を経営していた。教育熱心で、山中氏は大阪教育大附属天王寺中学・高校(大教大天王寺)へと進む。天王寺は四天王寺の略称である。四天王寺は聖徳太子が建立した七大寺の一つだ。摂津から和泉に抜ける交通の要衝として発展し、現在は近鉄の本拠である阿倍野駅、あべのハルカス、大阪市大病院などの施設が集中する。さらに周囲には、新世界や飛田新地も位置し、生々しい人間の営みを垣間見ることができる。

 この地域からは様々な人材が生まれている。例えば、山中氏の同級生には世耕弘成・経産大臣がいる。学生時代、世耕氏が生徒会長、山中氏が副会長だった。世耕氏は「山中は無二の親友」という。世耕氏は近大のオーナー一族だ。近大マグロや受験者数日本一など、近年の繁栄をもたらした。政治家としてだけでなく、経営者としても一流だ。
重ねた挫折が結果をもたらした山中氏

 山中氏もそうだが、国との距離感が見事だ。資金集めも上手い。ジャスト・ギビング・ジャパンと連携し、2012年3月の京都マラソンに参加した際には、1000万円の寄附を集めた。政府に「研究費を増やせ」と言っているだけの有識者とは違う。大教大天王寺には、ソフトパワーを重視する伝統があるように感じる。社会への見せ方が上手い。山中・世耕氏の4年先輩には俳優の辰巳琢郎氏がいるが、彼など、その典型だろう。山中氏のメディア対応は見事だが、辰巳氏が大きな影響を与えている。

 若いときの出会いは、相互に影響を与える。その証左に、このような仲間は共通の「表現型」を呈することが多い。山中・世耕・辰巳氏に共通するのは「ソフトイメージ」。「ゆるキャラ」系と言ってもいい。卒業生も認識しているようで、大教大天王寺の卒業生は、「男はソフト、女はしっかりものが多い」という。
京都大学iPS細胞研究所所長の山中伸弥教授
 ちなみに、同地区に存在する府立天王寺高校のイメージは全く違う。卒業生には、中村祐輔氏(医師・シカゴ大学教授)、岡田武史氏(元サッカー日本代表監督)、佐藤慎一氏(財務省事務次官)、加藤晴之氏(講談社)などがいる。イメージは大教大天王寺と正反対だ。

 話を戻そう。山中氏は何度も挫折した。そして、それを乗り越えて、成功を掴んだ。その際、多くの仲間を引き入れ、自らを変革していった。体裁にこだわらず、柔軟に対応し、ネットワークで仕事をする。江戸時代、大名がいなかった大阪で発達した独自の商売人文化だと思う。山中氏は、大阪を体現した人物だ。

 次は大村氏だ。私は、彼の特徴は強烈な反骨心だと思う。筆者は、その原型は、彼が育った韮崎という町にあると感じている。例えば、大村氏の母校である韮崎高校の卒業生には強烈な面子が並ぶ。元サッカー日本代表の中田英寿氏、元民主党幹事長の輿石東氏などだ。金丸信氏も、かつて教員を務めたという。みな徒手空拳で世界を切り開いた。引かれたレールを走るエリートではない。

 韮崎は甲斐、信濃、駿河を結ぶ諸街道が交差する要衝で、古くから栄えた。江戸時代は幕府の直轄領だった。ところが、明治以降、薩長藩閥政治の元、憂き目をみる。韮崎に限らず、山梨県では自由民権運動が盛り上がった。明治時代、熊本出身の山梨県令藤村紫朗への批判の声があがった。根津財閥の創始者であり、現在の東武鉄道を立ち上げた根津嘉一郎(1860-1940)は、若き頃、自由民権運動に従事していたことが知られている。

 根津嘉一郎が設立した教育機関は名門の武蔵中学・高校だ。同校では「現在も政府に依存せず、自ら道を切り拓け(武蔵高校OB)」と指導しているという。教育は固有の価値観を再生産することだ。武蔵の文化は、山梨の歴史・文化と密接に関係する。
メディア対策が奏功した大村氏

 大村氏の人生も挫折続きだった。当初、理科の教諭を希望したが、望みは叶わず、定時制高校に勤務した。そして高校教諭として働きながら、修士課程を修了する。研究者になった後は、個人的なツテを頼り、米国に留学する。そして、メルク・アンド・カンパニーと契約し、研究費を確保する。

 北里大学時代には、財政が悪化した北里研究所を再建すべく、北里大学の教授職を辞して、研究所の理事に専念する。みずから経営学や不動産学を学び、経営を再建する。そして、89年には「北里研究所メディカルセンター(現北里大学メディカルセンター)」を立ち上げる。土地取得から地元医師会への説得までを独力でやったのは有名だ。
母校山梨大に完成した自身の胸像を前に話す大村智さん
 あまり報じられていないが、ノーベル賞獲得に大きく貢献したのはメディア対策だ。ネイチャー誌編集部に所属していた英国人と契約し、積極的に外部に情報を出した。こんなことをする研究者は、私は大村氏以外にしらない。

 大村氏の仕事の仕方は、山中氏とは対照的だ。自ら考え、自らコーディネートし、そして自ら行動する。権力に依存したり、迎合したりするところが一切ない。これは、山梨という土地柄の産物だろう。周囲に、同じような先達がいて、大村氏は自然とそのやり方を身につけたのだろう。

 最後は大隅氏だ。私が、彼から感じるのは、「バランスのよさ」と「逆張り精神」だ。カミオカンデのような巨額の資金を要する研究は兎も角、アイデア勝負の生理学・医学賞で、東大卒業生がノーベル賞を取るのは難しい。官僚体質が濃く、同調圧力が強いためだ。

 高校時代、「環境問題をやりたい」など、さまざまな希望をもって東大に入学した学生も、夏休みを越すと、将来の希望は「官僚になりたい」や「研究者になりたい」と言い出す。環境をやるなら、トヨタに就職して、新しいエンジンを開発するなど、幾らでも方法があるのに、環境省に入省するか、東大の研究室しか選択肢がないように感じるようだ。これでは、研究者として大成しにくい。
バランス感覚が優れた大隅氏

 大隅氏は違った。例えば、1963年に東大理科二類に合格した後、3年の進振では新設された教養学部の基礎科学科に進学する。そこから、彼のキャリアが始まる。高校時代は、化学をやりたいと考えていたのだから、大きな方向転換だ。私は、この方向転換が、大隅氏を成長させたのではないかと考えている。それは東大教養学部には旧制第一高等学校のリベラルアーツの伝統があるからだ。駒場キャンパスと本郷キャンパスを訪問された方は、その雰囲気の違いに驚かれるだろ。前者からは「学問の自由」、後者からは「国家」を意識せざるを得ない。

 旧制第一高等学校が廃止され、教養学部前期課程に組み込まれるのは1950年だ。大隅氏が後期教養課程に進んだ1965年当時は、まだ旧制第一高等学校の教員が大勢残っていたはずだ。大隅氏は、彼らから学問について影響を受けたのではなかろうか。この手の方向転換は難しい。東大で生きて行くためには、権力と全面抗争は出来ない。また、権力に全面的に迎合すると、御用学者になるしかない。ノーベル賞など、夢のまた夢だ。彼のバランス感覚は、どこから生まれたのだろうか。
妻の萬里子さん(右)と会見する東京工業大学の大隅良典栄誉教授
 私は、彼の出身地に注目している。大隅氏は、福岡生まれで、地元の名門福岡高校を卒業している。福岡は特殊な町だ。中国・韓国と近く、古くから博多港が栄えた。国際感覚と商売人の感覚が身につく。さらに、黒田藩52万石の城下町でもあった。城下町と港湾・商業都市が近接する事例は、我が国では極めて少ない。港湾・商業都市の代表は、横浜、神戸、函館などだろう。このような都市は、野球やラグビーなど海外スポーツが盛んで、キリスト教関係の施設も多い。文化人や経済人は輩出するが、政治家や官僚は少ない。我が国の統治機構が武士文化の影響を受けているからだろう。

 福岡は違う。大勢の政治家を輩出している。かつては広田弘毅、緒方竹虎、頭山満、最近は上田清・埼玉県知事は福岡市出身だ。福岡県なら、麻生太郎、舛添要一氏らがいる。日本医師会会長である横倉義武氏も福岡県出身だ。みな、個人ではなく、組織の動かし方を熟知している。黒田藩の伝統を引き継いだ、この地域固有の文化なのだろう。

 大隅氏のバランスのよさは、彼が学んだ福岡高校の雰囲気とオーバーラップする。福岡市内には3つの名門高校がある。修猷館高校、福岡高校、筑紫丘高校だ。修猷館高校と福岡高校の関係は特に密接だ。福岡高校は、1917年、修猷館中学(当時)の寄宿舎の一部を仮校舎として開校した。いわば、兄弟校だ。現在も定期戦が行われている。
人と違う「逆張り」の発想を恐れないことが重要

 修猷館中学は、黒田藩の藩校に由来する。福岡高校も、その流れを汲む。ただ、両校の校風は随分と違う。友人の福岡県出身者は「修猷館は官僚的、福岡高校はバンカラ」という。確かに、筆者の実感とも通じる。筆者の専門領域では、福岡高校の卒業生には、中村哲・ペシャワール会医療サービス総院長や、藤堂省・元ピッツバーグ大学教授らがいる。みなさん、バンカラでバランス感覚がいい。統治機構とも上手く付き合う。このあたり大隅氏に通じる。東大や関連する組織で、ノーベル賞を取るには、このような能力が必要なのだろう。

 今回のノーベル賞のニュースを受け、一部の研究機関や大学の予算は増えるだろう。ただ、私は、そんなことをしても、日本の科学は進歩しないと思う。政府が拠点を認定し、優先的に予算を振り分けても、「腐敗」が進むだけだ。若者たちは、同調圧力が強い環境で、自分でものを考えられなくなる。その象徴が、STAP細胞事件の理化学研究所、論文不正が続く東大医学部などだ。
東京都文京区の東京大学安田講堂  
 筆者の母校である東大医学部の場合、問題を指摘されている教授の多くは、都内の某新学校の卒業生だ。この学校の卒業生は、極めて有能だ。課題を与えると、即座に解決する。与えられた課題を解決するのは、受験勉強と本質的に変わらないのだろう。ただ、自ら課題をセットできないように映る。「スーパー大学院生」として若いときにはチヤホヤされるが、自立した研究者や管理職には向かない。このような教授に指導される若手は不幸だ。

 立派な研究をするには、人と違うことしなければならない。逆張りだ。しかしながら、逆張りは、言うは易く行うは難い。気まぐれで逆張りすれば、討ち死にするだけだ。逆張りするにはノウハウがいる。若者が、そのようなノウハウを身につけるのは、基本的には先輩や友人からだ。若者には具体的なロールモデルが必要だ。幸いにも、我が国には多彩なロールモデルがある。この多様性こそ、我が国から多くのノーベル賞学者が出ている理由の一つだ。

 近年、東京一極集中が叫ばれている。メディアは「東京対地方」という単純な構図で議論しがちだ。問題があれば、「政府が支援すべきだ」のオンパレード。こんなことを言い続けている限り、日本は衰退する。世界と伍して戦うには、敵を知ると同時に、己を知らねばならない。そのために必要なのは教育だ。研究者を育てることは、子育てと似ている。ふんだんな教育費をかけて、小遣いをたっぷり与えても、他人と交流し、切磋琢磨しなければ大成しない。いま、研究者に求められるのは、金をねだることではない。大人の議論だ。

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