大隅氏は違った。例えば、1963年に東大理科二類に合格した後、3年の進振では新設された教養学部の基礎科学科に進学する。そこから、彼のキャリアが始まる。高校時代は、化学をやりたいと考えていたのだから、大きな方向転換だ。私は、この方向転換が、大隅氏を成長させたのではないかと考えている。それは東大教養学部には旧制第一高等学校のリベラルアーツの伝統があるからだ。駒場キャンパスと本郷キャンパスを訪問された方は、その雰囲気の違いに驚かれるだろ。前者からは「学問の自由」、後者からは「国家」を意識せざるを得ない。

 旧制第一高等学校が廃止され、教養学部前期課程に組み込まれるのは1950年だ。大隅氏が後期教養課程に進んだ1965年当時は、まだ旧制第一高等学校の教員が大勢残っていたはずだ。大隅氏は、彼らから学問について影響を受けたのではなかろうか。この手の方向転換は難しい。東大で生きて行くためには、権力と全面抗争は出来ない。また、権力に全面的に迎合すると、御用学者になるしかない。ノーベル賞など、夢のまた夢だ。彼のバランス感覚は、どこから生まれたのだろうか。
妻の萬里子さん(右)と会見する東京工業大学の大隅良典栄誉教授
妻の萬里子さん(右)と会見する東京工業大学の大隅良典栄誉教授
 私は、彼の出身地に注目している。大隅氏は、福岡生まれで、地元の名門福岡高校を卒業している。福岡は特殊な町だ。中国・韓国と近く、古くから博多港が栄えた。国際感覚と商売人の感覚が身につく。さらに、黒田藩52万石の城下町でもあった。城下町と港湾・商業都市が近接する事例は、我が国では極めて少ない。港湾・商業都市の代表は、横浜、神戸、函館などだろう。このような都市は、野球やラグビーなど海外スポーツが盛んで、キリスト教関係の施設も多い。文化人や経済人は輩出するが、政治家や官僚は少ない。我が国の統治機構が武士文化の影響を受けているからだろう。

 福岡は違う。大勢の政治家を輩出している。かつては広田弘毅、緒方竹虎、頭山満、最近は上田清・埼玉県知事は福岡市出身だ。福岡県なら、麻生太郎、舛添要一氏らがいる。日本医師会会長である横倉義武氏も福岡県出身だ。みな、個人ではなく、組織の動かし方を熟知している。黒田藩の伝統を引き継いだ、この地域固有の文化なのだろう。

 大隅氏のバランスのよさは、彼が学んだ福岡高校の雰囲気とオーバーラップする。福岡市内には3つの名門高校がある。修猷館高校、福岡高校、筑紫丘高校だ。修猷館高校と福岡高校の関係は特に密接だ。福岡高校は、1917年、修猷館中学(当時)の寄宿舎の一部を仮校舎として開校した。いわば、兄弟校だ。現在も定期戦が行われている。