音楽家ではなく人を育てる


編集部:原子物理学の研究者として知られる早野さんが音楽教室を展開する才能教育研究会の第5代会長になられたと聞き、意外に思っていたのですが、子供の頃にスズキ・メソードでヴァイオリンを習っていらしたのですね。

 スズキ・メソードの創設者・鈴木鎮一さんの著書『愛に生きる』の中に、早野さんのことが登場します。1959年、ウィーン・アカデミー合唱団がスズキ・メソード発祥の地、長野の松本音楽院を訪れたとき、指揮者のダビッド教授が小学校1年生の早野さんに独奏を指名した。そうすると「バッハのコンチェルトを弾きます」と言って立派な演奏を行い、合唱団の人々を驚かせたと。その5年後には、6歳~14歳までの10人の生徒がアメリカ17都市に演奏旅行に出かけ、それまでヴァイオリンの勉強は8、9歳からでないとできないと考えられていたアメリカに、大きな衝撃を与えたそうですね。早野さんはこの全米演奏旅行「10(Ten)Children」にも参加していらっしゃいます。

5才の頃。松本の自宅にて
5才の頃。松本の自宅にて
早 野:私がスズキ・メソードでヴァイオリンを習い始めたのは、たしか4歳の時。当時は父の勤め先が信州大学だったので松本に住んでいたんです。たまたま鈴木鎮一先生の教育方針に心酔した父の友人が才能教育研究会の事務局にいたご縁で松本にあったスズキ・メソードに通うことになり、ほどなくして鈴木先生に直接指導を受けるようになりました。15歳になるまで続けましたから、11年あまりかな。

 習っている間はほぼ毎週1回、鈴木先生のお宅にレッスンに伺っていたんだけど、高校に入った15歳のある日、鈴木先生に「今日で最後です。私は科学の道に進みたいので、音楽家にはなりません」とお伝えしました。

編集部:えっ、全米演奏旅行にも参加した早野さんが辞めると聞き、鈴木先生はガッカリなさったのではないですか?

早 野:いえ、それはありませんでした。なぜかといえば、鈴木先生にはもともと、「音楽家」を育てるおつもりは無かったと思うんです。つまり子供を、音楽を通じて「人」として育てるのであって、音楽家という特殊な人種に育てることを強調しなかった。

 スズキは創立からの70年間、ヴァイオリンやピアノの国際コンクールでも受賞するような音楽家をたくさん輩出し続けてきました。でも音楽家にならずに、異なる道に進んだOB・OGもたくさんおられます。研究者、作家、棋士、弁護士……。様々な道に進んだ人が大人になり、「あの時スズキ・メソードでレッスンを続けていて良かったなあ」と振り返ってくれることが、鈴木先生が望まれたことではなかったかな、と思っています。