教育投資は早いほどいい


早 野:このところ、幼児教育に関して、教育投資のタイミングが話題になっています。有名なのはノーベル経済学賞を受賞したシカゴ大学の労働経済学者ジェームズ・ヘックマンの研究です。ヘックマンによれば、「就学後の教育の効率を高めるには、就学前教育が大切」で、彼の著書『幼児教育の経済学』には、子供に教育投資をしたタイミングや額と、その子供が大人になってからの犯罪率、大学をドロップアウトせず卒業できたか、などの関係を調査した結果がまとめられています。

 この本で明確に述べられているのは、同じ教育投資をするなら、幼児教育に投資をすべきだということ。大学受験に投資するくらいなら、幼児のときに投資したほうがよい。なぜなら、幼児のときにきちんと教育された子は、犯罪率や大学中退率が低いという調査結果が出ているのです。

 では、何を投資するべきか。算数・国語とか、学校の教育で計れるようなもの(認知的能力)に投資しても、結果的には意味がない。もちろん、入学以前に教科内容を習っていれば、学校に入った時点ではいい成績を取れるでしょう。しかしその優位差は、卒業する頃にはほとんど無くなってしまいます。

 経済学分野では、人間の生産性に関する格差を「人的資本」という概念で説明してきました。この人的資本には「認知能力」と「非認知能力」があり、学校や塾でのIQテストに代表される認知能力に対して、「非認知能力」とは、個人特性、選好、自制心、情報処理能力などを指しています。いわば「性格」のようなものです。

 ヘックマンは、この「非認知能力」を身に付けさせることにこそ、意味があると言っています。たとえばこの著書でも頻出する「GRIT」(やり遂げる力)。月曜はピアノ、火曜はバレエ、水曜は学習塾……と、毎日違う習い事をさせるくらいなら、子供が関心もったことを1つ選ばせてしっかり学ばせたほうがいいんです。

編集部:習い事を通じて、人間としての基礎を躾けるということですね。だから進む道が音楽家であるか否かにかかわらず、根気よく努力できる大人に育つ。

早 野:人格形成には、家庭での躾や環境が大きく影響します。音楽の場合は、繰り返し訓練を続けることを通じて、非認知能力を身につけることができるのだと思います。

 あとは、自分に嘘をつかない子に育てるというのはとても大切です。

編集部:音楽はスポーツのようにスコアが出るわけではないから、どこまで練習するかという判断は講師、そして最後は自分に任されますね。

早 野:そうです。子供自身が「この曲はまだ弾けていないな、来週先生に会うまでに練習しておかないとまずいな」と、思えるようになるかどうか。自分に嘘をつかないことが、自分の性格といってもいいくらい身につくか。それがのちの人生にとって大事です。

編集部:早野さんは、「困難を乗り越える力も音楽教室で身につけた」ということを仰っていますが、運指や楽譜の記憶といったスキル面だけではなくて、教室でのレッスン継続が、人格の根の部分を作るということでしょうか。

早 野:たとえば難しい2小節がどうしても弾けないとしましょう。そうしたら、繰り返し繰り返しその2小節を弾きます。そうやって、自分ができるまで弾く。その厳しさを乗り越えられるかどうか。
2008年、原子物理学分野の優秀な科学者に贈られる仁科記念賞を受賞した時の一枚。左はノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊氏。早野さんは自ら選んだ科学の道で、素晴らしい成果を挙げた
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しい成果を挙げた
 スズキの研究科を出て卒業試験まで通った人の音楽的解釈や表現力は相当な高いレベルになることが実証されています。そうやってレッスンの中で困難を乗り越えてきた人なら、途中でスズキを辞めて音楽以外の道に進んでも無駄ではないでしょう。

 僕の場合は中学生のときに、一生ヴァイオリンを弾くほど音楽が好きか、自分よりうまい人に比べて才能があるか、才能を磨くためにもっと訓練を厳しくできるか、といったことを深く考えました。そして僕は科学の道に行くことを決め、音楽を選ぶことはしなかった。でもそれは、相当に練習し、相当に弾いたから15歳で答えを出せたんです。

 スズキでの厳しいレッスンと、自分に嘘をつかない練習を続けたからこそ、今の僕があると思っています。