なぜ日本人ノーベル賞は国立大出身者しかいないのか

『和田秀樹』

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和田秀樹(精神科医)


 東京工業大学の大隅良典栄誉教授が、ノーベル生理学・医学賞を単独受賞された。

 もちろん日本人としては誇らしいことだし、スポーツ嫌いの私個人としては、オリンピックの金メダルよりはるかにうれしいことだ。

 一時期ノーベル賞を取る人の数が少ないことが問題にされたことがあったが、毎年のように受賞者を出すようになり、この点では世界の先進国に肩を並べたといっていい(アメリカには遠いが、ヨーロッパのレベルには十分達している)。
研究室で顕微鏡をのぞく、オートファジーの研究で知られる、東京工業大学の大隅良典栄誉教授=9月29日、横浜市緑区(寺河内美奈撮影)
 この理由については、いろいろな分析があるが、私は、やはり日本人の基礎学力の高さが大きいと考えている。

 実際、現時点では、日本のノーベル賞受賞学者はすべて国立大学出身者だ。受験科目が多く、高い基礎学力がないと入学は難しい。

 共通一次試験の導入で、覚え物の比率が増えたとか、オリジナリティーのある解答が求められることがなくなったなど、基礎学力重視の入試導入には批判が多かった。例えば数学だけがずばぬけてできるというような面白い人材が国公立の大学に入れなくなったという問題も指摘された。

 しかしながら(もちろんこれが例外にならないとは限らないが)、すでに共通一次受験者の山中伸弥氏もノーベル賞を受賞している。

 私が懸念するのは、ゆとり教育(中止されたとはいえ、まだ昔と比べるとカリキュラムはかなり薄い)や少子化で入試が簡単になったことによる日本人全体の基礎学力の低下である。昔は東大であれ、国立大学であれ、日本全国の秀才によるセレクションであったが、今は、一部の選ばれたものだけが参加する中学入試経験者によるセレクションになりつつある。そういう中からユニークな人材が育つのかと考えてしまうのだ。
海外が真似する日本の初等中等教育


 現時点でのノーベル賞受賞者は、圧倒的に公立高校出身者が多い。中学受験の経験者は山中伸弥氏(今後の傾向を占うことになるかもしれないが)と私の灘校の先輩、野依良治氏だけである。

 日本の初等中等教育の評価は海外では驚くほど高い。

 イギリスやアメリカで学力低下が問題にされた際も、手本にされたのは日本の初等中等教育である。そして、アジアの多くの国も、戦前から日本の初等教育のようなシステムになっている国(これらの国は日本に批判的だが、教育システムだけはいまだに日本流である)も、日本を手本に教育システムを構築した国が少なくない。

 ところが日本では、教育改革と言えば、必ず初等中等教育の改革のこと、あるいは入試制度の改革のことを指す。

 日本の研究レベルの高さが、日本人の基礎学力の高さに負うということへの反論の一つに、ならばなぜ東大出身者(大隅氏は東大卒だが)のノーベル賞が少ないのかとか、医学生理学賞を、なぜ偏差値が高いはずの医学部卒(山中氏は医学部卒だが)の人が取らないのかというものがある。

 大隅氏はインタビューの中で自由な研究環境に恵まれたことに触れ、また、大隅氏に指導を受けた研究者たちからは、自由に研究をさせてくれたとか、学生に反論したことがないという賛辞の声が上がっている。

 日本の理系学部で、このような伝統が残っているとしたら喜ばしいことだ。

 ただ、少なくとも私の所属する医学の世界では、このような研究の自由な風土はかなり制限されている。要するに学会ボスが強すぎるのだ。

 がんの放置療法で問題になっている近藤誠氏であるが、もともとは海外の論文で、あるステージまでの乳がんは、オッパイを全摘して大胸筋まで切る術式をしなくても、がんだけ切って放射線を当てるだけで、5年生存率が変わらないということを見つけ、国民の啓蒙のために、ある雑誌に提起したことが物議の始まりだった。メンツをつぶされた外科教授たちがこぞって近藤氏を排斥し、その術式を使うと上からにらまれるためか、日本ではほとんど普及しなかった。そして、これらの外科の学会ボスがみんな引退した15年後くらいになって、この術式が日本の標準術式になった。

 教授に逆らうと、就職口でも不利になるし、研究の予算も回してもらえないシステムな上、一度、教授になれば、刑事事件でも起こさない限りクビにならない(ディオバン事件で、論文の改ざんを認めた東大教授がいまだに学会ボスとして君臨しているのだ)システムでは、教授の考えに逆らう研究はできない。彼らが引退するのを待つだけだ。

 最近になり、日本ではコレステロール値が高い人や、やや太めの人のほうが長生きしているというような疫学データが次々出ているが、医学会の趨勢はそれをつぶそうとするばかりで、なぜそうなるのか、それが事実なのかの研究をやろうという機運にならない。

 ノーベル賞というのは、後にその分野の科学の進歩に貢献する研究とか、人類に役立つ研究のほかに、旧来の仮説を覆すような研究に与えられるものだ。しかし、日本では、大隅氏のような人格者が上にいなければ、そのような研究は許されない。

 私は、上の顔色を窺う研究者が、今後もっと増えることを懸念している。
AO入試化の隠された事実


 2021年の春入試から、東大を含めたすべての国公立大学の入試がAO入試化され、ほとんどの大学で入試面接が課される。

 私が問題だと思うのは、このような流れにほとんどの国公立大学の教授たちは歓迎の方向になってはいるが、ある事実を隠蔽していることだ。

 それは、海外の名門大学のAO入試では、教授たちとは独立した第三者機関であるアドミッション・オフィス(これがAOである)があり、面接は教授でなく面接のプロが行う。そうしないと教授に逆らわないおとなしい学生ばかりが入り、学校が活性化しないと思われているからだ。

 こういうことは聞いたことがない人がほとんどだろうが、おそらく海外の学問事情にくわしい大学教授たちの中では知っている人が少なくないはずだ。

 海外の成功事例を議論の対象にしないで、身内でなんでも決めてかかろうとする(都庁の役人と似ているように感じるのは私だけだろうが)入試面接など信用できないし、教授に逆らえないような人間ばかりが入学してくるような大学では、ノーベル賞が生まれるとは思えない。

 大隅氏が留学を勧めるように、日本のノーベル賞学者のほとんどは海外で、自由な研究を経験してきた人か、大学よりヒエラルキーが緩い企業研究者だということを忘れてはならない。

 ついでにいうと、日本の国立大学を出た人は基礎学力が高いせいか、海外の大学院で落ちこぼれるという話はほとんど聞いたことがないし、逆に海外で初等中等教育を受けた日本人や日系人がノーベル賞を取ったことはない。

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