山本直人(経営コンサルタント)

 まあ、安保法案や新国立競技場やギリシャ問題やら、そりゃたしかに「賛否」を問う話は多いんだけど、それにしても最近のネットニュースの見出しは、やたらと「賛否」が多いと思うわけ。たとえば、こんな感じ。

 「父の日イベント中止? 理由に賛否」これは、家庭の事情でお父さんがいないこともあるから。まあ、これは賛否あるだろうな。「『ドッジボールは暴力』に賛否」まあ、これもわかる。いずれも、それなりに社会の話だ。

 でも、この「賛否」というのもtwitterあたりの声をザクザクと拾って、つぎはぎしてるだけだったりする。そして、賛否はそれだけじゃない。「女の子の頭をなでるゲームCMに賛否両論」これはゲームの話。「やりすぎ? とんねるずに賛否」これはテレビの話。

 そもそも、テレビやゲームは別に見なくてもプレイしなくてもいいようなもので、賛否を問うもんじゃないだろ、と。そして、ついにこんな見出しが。「熊切あさ美の『別れていない』にネットでは賛否」。もう、何が賛否なんだか。賛辞の方が文は通じる。まあ、実際は惨事のようだけど。

 法案や政策など、それによって自分たちの生活が大きく影響されるなら「賛否」というのも普通だ。学校の行事も、決められちゃえば逃げられないので議論にはなる。でも、タレントのやったことやコンテンツというのは、別に関係ない人にとっては、相当どうでもいい。じゃあ、なんで「賛否」とかつけたがるのか。
 単純に言って、ついつい見出しのクリックが増えるのかもしれない。ただ、それ以上の意味合いが、この「賛否」という言葉にはある。それは「これは皆が気にしているんだよ」という記号として、機能しているのだ。

 マスメディア研究で「議題設定(agenda setting)」という機能がある。つまり、世の中の人が「これが重要だ」と思うのは、マスメディアによって影響されるという話だ。ネットの時代になっても数をとろうとすれば、「これが重要だ」ということをアピールすればいい。

 そして、賛否がわかれることに自分の意見を言えることが賢い、と錯覚しちゃう人がいれば、まだこういう見出しは続くのかもしれない。でも、それの行く末が「熊切あさ美」であれば、あまり賢そうだとは思えない。それにしても、そうやって話題つくって煽ることやってたらマスメディアと同じだし、ネットメディアならではの価値はどうなるんだ?とかいうことは、多分考えられていないんだろう。

 そこで「賛否」が問われた形跡は、見当たらないんだけど。でも、そのうち出るかしら。「ニュース見出しの『賛否』に賛否」とか。(公式ブログ 2015年7月14日分を転載)