川上和久(国際医療福祉大学教授)

 特定の支持政党を持たない層は、日本の政党や政治家にとって、今や、自らの死命を制する存在となっている。特定の支持政党を持たない層は、「政党支持なし層」、「支持政党なし層」、「無党派層」などと呼称されているが、本稿では「無党派層」と呼称することにする。

 「無党派層」は、55年体制の下での自由民主党、社会党の「保革対立」の潮流の中でも、一定程度存在した。そんな層を捉えようと、1970年代から動きはあった。
二院クラブに入会したコロムビア・トップ(下村泰)氏(中央)。(左から)喜屋武真栄、青島幸男、下村泰、野末陳平、市川房枝の各氏=昭和50年6月
二院クラブに入会したコロムビア・トップ(下村泰)氏(中央)。(左から)喜屋武真栄、青島幸男、下村泰、野末陳平、市川房枝の各氏=昭和50年6月
 ロッキード事件など、政治倫理が大きな課題となっていた1977年には、河野洋平代議士らが、保守政治の刷新を掲げて新自由クラブを結成し、12月の第34回衆院選では、革新政党を支持できないが、自民党にも不満を持っていた無党派層を引き付け、17人が当選した。

 革新陣営でも無党派層を意識した動きがあった。1977年の参院選で横山ノック、1980年の参院選で中山千夏を全国区で当選させた「革新自由連合」が、比例代表制が導入された1983年の参院選に向け、「無党派市民連合」を結成したが、選挙では約51万票の獲得にとどまり、議席獲得には至らなかった。名簿順位をめぐる路線対立があったものの、「無党派」という名前を冠して無党派層を掬い取ろうという戦略は失敗に終わったのである。

 一方で、マーケットや政策を絞った「ミニ政党」のほうが、議席を獲得する健闘を見せた。サラリーマンにターゲットを絞ったサラリーマン新党は約200万票で2議席、福祉政策の福祉党は約158万票で1議席、それに比例代表ではなかったが、東京選挙区で税金党の野末陳平氏が当選した。しかし、こういったミニ政党も、無党派層の継続的な支持を得るには至らなかった。新自由クラブも1986年、自民党が大勝した第38回衆院選で6議席と振るわず、解党を余儀なくされた。


 新自由クラブやミニ政党の躍進に代表されるように、既存政党の政策に不満を持つ無党派層の存在は無視できない比率に達していたが、それがさらに比率を高めたのが、1993年の細川連立政権成立後の政界再編だった。自民党と共産党以外は、政党名も含めて離合集散が続くこととなり、無党派層の比率がさらに高くなった。

 時事通信社は、政党支持について継続して世論調査を行っている。この調査結果によれば、「あなたは、どの政党を支持しますか」という質問に対して、「なし」「わからない」と回答した「無党派層」は、細川連立内閣の前後で大きく変化している。

 海部・宮沢両内閣期(1989.8-1993.8)には平均して48.8%であった。それに対して、橋本内閣から小泉内閣(1996.1-2004.8)までの平均は61.6%であり、このめまぐるしい政界再編の時期に、無党派層が急増したことが分かる。
http://www.crs.or.jp/backno/old/No564/5641.htm 前田幸男 「時事世論調査に見る政党支持率の推移(1989-2004)」 参照)