ステレオタイプが巻き起こす差別問題


 「わさびテロ」も、このような良かれと思った行為が、実は韓国人に対するステレオタイプがもとになったものに過ぎず、客の反応を見ることなく、十把ひとからげに対応したところから始まったのだろう。韓国人からすれば異国の地のこのようなトラブルは差別であると捉えることもあろう。もちろんそこに悪意の差別が介在する余地を想像することもできるが、実態はやはりこんなところなのではなかろうか。角川書店が、読解能力と解釈力に疑問があるだろう高校生の教科書に、気の利いた『ブラックユーモア』による社会批判を掲載したのがトラブルを招いたように。

 そうしてみると、最初にこの「わさびテロ」の話をネットで目にした時に酷い話だと思った感情は冷めていき、やがて良かれと思った何気ない行為が、「差別」として人の心を傷つけ、やがてさらに大きなトラブルを招くのは、果たしてこの寿司屋だけではなく、自分自身にもあり得ることなのではないかと考えるようになったわけである。

 もちろん、この話、あくまでも善意の「区別」が悪意ある「差別」に受け取られたということを前提にして書いている。釜山のタクシーやサウナの「日本人差別」の有無と同じく「悪魔の証明」となり、必ずしも否定はできない話であることも最後に記しておく。(清義明公式ブログ 2016年10月14日分を掲載)