巽孝之(慶應義塾大学文学部教授)

 ボブ・ディランにノーベル文学賞受賞という知らせを受け取ったのは10月14日早朝、出張先のパリのホテルだった。パリ・ディドロ大学と日本文化会館を会場に開かれていた国際江戸川乱歩会議に出席中のことである。知らせを聞くやいなや閃いたのは、それがT・S・エリオット(1948年受賞)を除けば初のアメリカ詩人への受賞であること、黒人女性作家トニ・モリスン以来23年ぶりのアメリカ人の選出であること、そして乱歩と奇しくも同い年(1894年生まれ)にして終生エリオットを意識した我が国の学匠詩人・西脇順三郎がエズラ・パウンドの推挙によりノーベル文学賞候補に挙がっていたことだ。
人種差別撤廃を求めるワシントン大行進で演奏するボブ・ディラン(右)とジョーン・バエズ=1963年、ワシントン
人種差別撤廃を求めるワシントン大行進で演奏するボブ・ディラン(右)とジョーン・バエズ=1963年、ワシントン
 小説家の受賞で占められている印象の強い同賞だけに「ディランは文学か?」という疑問も強いようだが、電話取材には「ディランの歌詞は30年以上前からアカデミズムの場で『詩』として研究されてきたから、文学賞でも矛盾はない」と答えた。たとえば名曲「風に吹かれて」(1963年)は〈どれだけたくさんの道を辿れば人は一人前と呼ばれるようになるのだろう?〉〈どれだけ大砲の弾が撃たれればもう二度と撃たれないよう禁止されることになるのだろう?〉など多くの問いかけから成っているから、ここに公民権運動やベトナム戦争へのメッセージ色を読み取るのはやさしい。けれどもディラン本人は確固たる解答を出すことなくむしろ歌の聞き手、すなわち詩の読み手ひとりひとりを引き込み、じっくり考えこませる。そこにこそビート世代にも近い詩人としての深い思弁が広がっている。

 もちろん、一般にはフォークロックの歌手として広く知られる人物だから、いったいなぜ音楽家が文学賞を獲るのか、異論を抱く向きが多いのもよくわかる。過去20年ほどのあいだに囁かれて来たアメリカ人のノーベル文学賞最終候補はトマス・ピンチョン、ドン・デリーロ、フィリップ・ロス、ジョイス・キャロル・オーツ、ノーマン・メイラー、コーマック・マッカーシー、アーシュラ・K・ル=グィンといった、いずれもアメリカ文壇を代表する面々だったのだから。もっとも20世紀には平均して10年にひとりの割合でアメリカ作家に授けられて来た同賞だけに、モリスン以降23年もの空白をいったいどのように巧みに埋めるべきか、選考委員会も頭を絞りに絞ったのは想像に難くない。

 しかも、ノーベル文学賞は現役にして新作を発表し続けている才能に贈られるものであり、決して功労賞ではない。アメリカ前衛文学で大御所中の大御所といえば1960年代から2010年代に至る半世紀ものあいだ傑作長篇を書き続けているメタフィクション作家ピンチョンが順当だろうが、隠遁作家としても知られるため、仮に受賞を受諾しても授賞式をすっぽかす可能性がある。ピンチョンの代表作『重力の虹』のドイツ語訳で知られるオーストリア人女性作家エルフリーデ・イェリネクのほうが先にノーベル文学賞を受賞してしまったゆえんだ。