それでは、今回のディラン受賞は選考委員会が迷いに迷ったあげくの苦肉の策なのか? わたしは、必ずしもそうは考えない。たとえば戦後、批評家マルカム・カウリーが抜本的な再評価を行ない1946年に優れた傑作選を編んだからこそ、南部作家ウィリアム・フォークナーは1949年にノーベル文学賞に輝き、1955年には初来日を遂げて長野でセミナーを行い、以後の日本文学にも影響を与えている。1980年代には黒人文学研究の重鎮ヘンリー・ルイス・ゲイツ・ジュニアがそれまで活字化されていなかった黒人奴隷体験記を徹底調査してつぎつぎに編纂を始め、結果的に白人男性ばかりで構築されてきたアメリカ文学の正典を問い直したことも、1993年のモリスン受賞を導いているだろう。
 それと同様、今回はボブ・ディラン研究で知られる音楽評論家のグリール・マーカスと黒人文学研究家のワーナー・ソラーズの共編『ハーヴァード大学版新アメリカ文学史』(2009年)が行なった「脱領域的理論実験」の成果を無視することはできない。1980年代このかた、新歴史主義やポスト植民地主義の風潮を受けた文学史の正典読み直しの風潮は、カリフォルニア大学リヴァーサイド校教授エモリー・エリオットが編纂した『コロンビア大学版アメリカ合衆国文学史』(1988年)から1994年、あたかも当時隆盛をきわめていた新歴史主義やポスト植民地主義に対応するかのごとく、ハーヴァード大学教授サクヴァン・バーコヴィッチがシリーズ化した『ケンブリッジ大学版アメリカ文学史』全8巻(2004年完結)までしきりに行なわれて来た。

 そうした蓄積をじっくりふまえたうえで、2009年に刊行した『ハーヴァード大学版新アメリカ文学史』にはB5サイズで1200頁弱の規模の中に数々の実験を秘める。なにしろ、編者が黒人文学を中心に非白人系民族文学の研究で多大な業績と影響力を持つハーヴァード大学教授ワーナー・ソラーズと、カリフォルニア大学バークレー校ではアメリカ研究を専攻した文化批評家で、とりわけロック評論の領域で画期的な貢献を成して来たグリール・マーカスのふたりという取り合わせなのだ。狭義の文学研究と広義の文化研究、アカデミズムとジャーナリズムがしっかり手を組んだこと自体が衝撃である。

 しかも本書は、単著にせよ共著にせよ植民地時代の文学から現代文学までを貫く時代順の縦糸「通史という物語」を放棄したうえで、あくまでアメリカ文学史上において重要な年号を任意に220選び出し(その中には任意の一年間にとどまらず、何らかの因果関係をもつ数年間も含まれる)、文学史上必要とあらば音楽史や美術史、ひいては映画史や科学技術史に絞った章までも横糸として自在に散りばめつつ「それぞれの年号が象徴する物語」を書くよう、多彩な執筆者に割り振ってみせた。