もう一点、私が思ったのは英語がノーベル賞受賞のキーになることです。ボブ・ディラン氏の歌は世界中に英語の歌として広まり、聴かれ、支持されてきました。それは英語故に理解されやすいということです。これが日本語でもドイツ語でも都合悪いのです。なぜなら、フォロワーが少なく影響力が少なくなる負い目があるからです。

 ところで日本でノーベル経済学賞受賞者がなぜ生まれないのか、という報道でも英語による発信、学会での発表、学者間での派閥づくり、そしてその考え方のフォロワーづくりができる人が少ないから、とされていました。きっとそうなのでしょう。

 自然科学は圧倒的研究があれば何語であろうとそれをフォローしますが、人文科学はアピールが全てなのかもしれません。その点において英語でプレゼンテーションできることがノーベル賞受賞には今後、大きなキーワードとなると思っています。

 最後に村上春樹氏の件ですが、今回、受賞できなかったと分かったと同時に「なぜ受賞できないのか」という専門家の記事、ニュース等が噴き出してきたのにはびっくりします。応援しているのか、蹴飛ばしているのか、メディアの注目だけを集めたいのか、ずいぶん軽薄だと思ったのは私だけでしょうか?
村上春樹氏
村上春樹氏
 個人的には氏の作品の6-7割は読んでいると思いますが、最近の作品が今一つだったと感じたのは技巧的であったけれど村上春樹氏の描く主人公の若くも寂しい「僕」がノルウェイーの森と海辺のカフカの時代から成長していないからかもしれません。それと彼の作品に出てくる「僕」のイメージが独特のキャラクターを持たせ続けている点で好き嫌いが出やすいと同時にその背景を含めた理解の度合いに色が出るのかもしれません。

 ノーベル賞がなんだ、という声もあるでしょう。日本は自然科学部門で素晴らしい実績を上げているではないか、とする声も多いでしょう。しかし、私も人文系の学部を卒業した者として頑張ってもらいたいのは当然であります。また来年に期待しましょう。(ブログ「外から見る日本、見られる日本人」より2016年10月14日分を転載)