宇多田ヒカル


 が、いつの頃からか、若者支援のなかで「音楽という文化」はそれほどそれほど力がなくなった。

 そうやって諦めていたのだが、最近の宇多田ヒカルの曲を聞いて、また「音楽の力」を見直してもいいのでは、と僕は思うようになった。その経緯は少し前の当欄に書いた(花束は「生者」に贈られている~宇多田ヒカルと母)のでここでは省く。

 その原稿にも書いたように、宇多田の歌を聞くという行為そのものが、亡き人々も含めた「他者」からの励ましになる。その励ましは静かな寄り添いというか語りかけでありそれほど元気ではないが、ポジティブな要素はもっている。

  そんな音楽の力を、僕は久しぶりに感じることができた。それに加えて、今回のボブ・ディランへの注目だ。ディランはいま70代半ばではあるがバリバリの現役で、たくさんの作品をつくりつづけている。

 相変わらず、1人だけいつも先を歩き、「ディラン愛」に燃える人々を語らせる。
 みうら氏をはじめとして、そんな「ディラン愛」をもてた人は幸せだ。ディランに支えられ(ディランを支えたくなり)ディランについて人々と語りたくなる。

 生涯で1人でもいいので、我々は「◯◯愛」できるアーティストを見つけることができると、それぞれの人生は強くなる。それは、アニメ監督や作家ではおそらく物足りず、詩ということばを駆使し、自分の声で歌い語りかける「音楽」、特にポップ・ミュージック(ロックやラップも含んだ広義のポップ)が最も効果がある。

 自分の声で、自分のことばで、世界を、特に価値の形成に揺れる若者たちを励ます。それこそがポップ・ミュージックの最大の力だ。