富澤一誠(音楽評論家)

吉田拓郎
 何をもって文学的と言うのか、は見解の相違による。従って、ボブ・ディランの詞に文学性はあるのか、も見解のわかれるところである。

 そんな前提に立って私が思うことは、これは日本においての話だが、岡林信康、吉田拓郎、井上陽水、谷村新司、さだまさしなどのフォーク・シンガーたちは、フォークソングという表現手段がなかったとしたら「文学者」になっていたというか、小説を書いていたと思う。おそらく彼らは青春時代の喜怒哀楽を小説という形を借りて表現して発散していたことだろう。柴田翔の「されどわれらが日々」や庄司薫の「赤頭巾ちゃん気をつけて」などのように。

 しかしながら、彼らはそうではなく音楽の世界に入ってしまった。なぜかというと、自分の言いたいことを小説という表現方法ではなく、自分の言葉で、自分の曲にのせて、肉声で歌う「フォークソング」という表現手段を知ってしまったからだ。

 かつて「怒れる若者の季節」と呼ばれる時代があった。60年代後半から70年代にかけて、ベトナム反戦、学園紛争、安保反対と嵐が吹き荒れた時代である。そしてそんな時代が生み出したのが「若者たちの英雄」である岡林信康、吉田拓郎であり、彼らが歌うフォークソングだったのだ。当時の若者たちはそれまでの小説を読むかのような気持ちでフォークソングを貪るように聴くようになったのである。まさに〈昔・文学、今・フォークソング〉である。要は、フォークソングは文学である、ということだ。

 さてボブ・ディランの話だが…。ディランがノーベル文学賞を受賞した際に吉田拓郎は「もし、あの時にボブ・ディランがいなかったら、と考える。ボブ・ディランがいたから今日があるような気もする。多くのことがそこから始まったと僕は思うのだ」というコメントを出したが、これは「ディラン」を「拓郎」に置き換えたら、そっくりそのまま日本の音楽業界にあてはまるのではないか。そう、吉田拓郎こそが「和製ボブ・ディラン」であり、拓郎がいなければ今のJポップ・シーンはありえないのだ。

 その証拠に拓郎は大学生の頃に家出をしている。憧れていたディランの伝説を読んで、ディランは尊敬していたフォーク・シンガーのウディ・ガスリーに会うために放浪の旅に出た、ということを知り、自分も家出をすることでディランに少しでも近づこうと思ったのである。ディランの生き方は拓郎を強く刺激したのだろう。