1965年4月、5作目のアルバム
「ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム」を
発表した直後のボブ・ディラン(AP)
 拓郎だけではなく、岡林も、陽水、谷村、さだもみんなディランの影響を受けている。それはベトナム反戦や公民権運動のムーブメントの中から、ディランが自分の意志を、自分の言葉で、自分の曲で、肉声を持って訴えていいのだというプロテスト・ソングを教えてくれたからだ。その意味では、ディランズ・チルドレンと言っていい。そんなチルドレンを触発したディラン。ディランの歌はもともと文学青年だった彼らのDNAを刺激したのだ。このことは、さだまさしの例を引くまでもないのだろうが、さだもディランの文学賞受賞にあたって「あの人がいなかったら、僕らの歌を聴いてくれる人はいなかったかもしれない」というコメントを出している。さだは今や小説家としても名を成している。「精霊流し」「解夏」「眉山」など数多くのベストセラーを出しているだけでなく、映画化もたくさんされ人気作家としても地位を獲得しているほどだ。

 拓郎、さだをはじめ文学志向だった彼らを音楽の道に導いたディランの本質は文学にあるに違いない、と私は思う。ディランの詞が文学的なのか? はたまた文学性があるのか? その答えはまさに〈風に吹かれて〉である。

 最後にこれだけは言っておきたいことがある。ラブソングしか受け入れられなかった時代に、ディランはメッセージをこめたプロテスト・ソングを歌い世界中に影響を与えたということ。「風に吹かれて」のフレーズに「答えはすべて風の中」とあるように、直接的に伝えるのではなく自分で考えなさいというメッセージが魅力。また、通常は一音に一句を込めるが、メロディーより、言葉、思いが先行する。つまり、まずは詞ありきで、言葉がメロディーからこぼれてしまう「語る」ように歌うのがディランの特徴。それまでになかった言葉(言いたいこと)重視の歌は、日本でも岡林や拓郎などに影響を与え、「一音一句」だった日本の音楽を変える〈字余りソング〉を生み出していく。メッセージがメロディーからこぼれるなんて、それまでの日本ではありえなかったことで、Jポップの礎を作ったと言っても過言ではない。

 ノーベル賞受賞で、これまでディランに興味を持っていなかった人も聴くようになり、音楽ってすごいぞ、と再認識されるきっかけとなれば幸いである。音楽で「時代は変わる」のか? 答えは風の中である。