原田泰(早稲田大学政治経済学部教授・東京財団上席研究員)

 6月24日に閣議決定された成長戦略に、最近の「人手不足」に対応するためとして、外国人技能実習制度の拡大が入った。これまで、農業、製造業、建設業などに限られてきた分野に、介護や家事労働などを加え、3年の滞在期間を最大5年に延ばそうとしている。

 実習制度とは、途上国からの労働者を日本で訓練し、帰国後、自国の経済発展を支えてもらうという制度だが、実態は、国内の人手不足を補う手段となっている。しかも、研修であるがゆえに労働基準法や最低賃金も適用されず、逃げないようパスポートを取り上げ、賃金未払いや法外な家賃を徴収するなどの事例があると、海外から繰り返し批判されている(朝日新聞、2014年6月22日)。

ウソはいけない

 国内でも強い批判がある。法務省の審議会の分科会で吉川精一委員は、「制度目的から大きく乖離し、単純労働者の受入れ手段に利用されている。技能実習生が、帰国後、日本で得た技能を生かした職場で働いているとの確たる証拠はない」との意見書(「技能実習制度見直しに関する意見」14年3月12日)を提出している。

 韓国も1993年に日本に倣って同様の制度を導入したが、海外からの批判に応えて03年に廃止した。代わりに韓国が採用したのは、雇用許可制で、外国人に労働法の保護を与えることにした。この制度は、ILOでも高く評価されたとのことである(前掲吉川意見書による)。韓国は、90年代の末から、サムスンなどの国際的企業だけでなく、公共政策の分野でも日本を追い抜く準備を着々と進めていたのである。

 成長戦略では、人口を1億人に維持することが目標とされている。もちろん、それを移民で実現すると言っている訳ではない。だが、海外からの労働者なしに、労働力人口を維持することは不可能だろう。

JIJI
経済連携協定に基づいて来日したフィリピン人の看護士助手(JIJI)
 多くの国の経験から言えば、労働者として来ても、いずれその国に定住することになるのが通常である。定住すれば、それは移民とたいして変わらない。

 移民が移住国の利益になるかどうかは多くの研究があるが、結論ははっきりしない。移住国の利益になるような高度な移民に来てもらえれば利益になるという、ほとんど同義反復に近い結論しか得られていないようだ(萩原里紗・中島隆信「人口減少下における望ましい移民政策」経済産業研究所ディスカッションペーパー)。

 そこで、高度移民を取り込もうという政策が打ち出されているのだが、そのような人材は、すでに各国の取り合いになっているので、そううまい具合に日本には来てくれない。

 考えてみると、コストをかけずに高度な移民の流入で利益を得るチャンスがあった。ナチスがユダヤ人を迫害した時である。多くのユダヤ人が日本にも逃れてきた。普通の日本人は、この人々に同情的であったが、高度移民として遇しようと考えたエリートはいなかった。

 一方、米国は、これこそが高度移民だと認識した。当時、米国は経済・軍事・政治大国ではあったが、知的、文化的には二流国だった。科学と文化の中心はドイツだった。ナチスに追われたユダヤ系の学者たちが米国に来ることで、米国の知の水準は一挙に高まった。

 ヒトラーが政権を奪取した1933年までで米国のノーベル賞(1901年発足)受賞者は5人(自然科学系のみ)しかいなかったが、その後はほぼ毎年受賞者を出すようになり、2013年では6人である。米国は、自由の女神の台座にある「嵐に弄ばれた人びとを送り届けよ」という、人道主義の言葉に従って、その知力を高めたのである。

タダ乗りはいけない

 確かに、外国人労働者が、元気に働いて税金と保険料を払い、医者に掛からず、福祉の世話にならず、歳を取ったら年金ももらわず故国に帰ってくれれば日本の利益となるだろうが、そんなうまい話があるものだろうか。そもそも、そんなうまい話があると思うこと自体、恥ずかしくないのだろうか。

 移民に対する対応には、同化と出稼ぎ主義と多文化共生主義がある。同化とは、完全に日本人になってもらうという意味である。出稼ぎ主義とは、故国の文化を維持したままでかまわない。日本はそれに関知しないということである。多文化共生とは、異なる文化を相互に理解し、日本のためにも活かすということである。相撲と野球とサッカーで考えれば分かりやすいかもしれない。

 慶應義塾大学の中島隆信教授が指摘するように、相撲は完全な同化を求める。なったら、同じ権利を与える。横綱にも親方にもなれるし、部屋も持てる。しかし、小錦や朝青龍のように、その枠からはみ出る大関、横綱も生まれる。野球の外国人は助っ人で、故国の文化を維持したままの出稼ぎである。

 サッカーは、理想的には様々な文化が流入して、日本サッカーを強くする触媒になるのが外国人選手に求められていることだろう。ワールドカップで、日本がコートジボワールのディディエ・ドログバ選手にあっさりやられたのは残念だったが、バブルのころなら、大枚をはたいてすぐさまドログバを日本に呼んでいたのではないか。普段から、あんな選手を相手にしていれば、慌てない強い日本になれる。これが多文化共生である。

 日本は海外からの人材に何を期待しているのだろうか。海外人材にタダ飯ありというよこしまな考えを捨てれば、同化と多文化共生主義しかない。出稼ぎ主義で、日本の中に、日本の関与しない様々な地域ができてしまうのは好ましくない。その人口がわずかであれば何の問題もないが、人口減少を補うほどの定住者が入ってくるのであれば、この選択はありえない。

 同化ではなく、多文化共生主義でも、定住者に日本を理解してもらうことは必須である。そのためには、言葉の習得は欠かせない。特に2世にはそうである。しかし、当然ハンディを負っているのだから、学校が特別な手当てをしなければならない。お金がかかるが、その費用は誰が負担するのだろうか。私は、その費用は親を雇っている企業が負担すべきと思うが、企業は負担していない。タダ乗りしているのである。

 日本は、人道主義に則ることで知力を高める機会を逃した。実習制度はウソである。外国人労働者の雇用はタダ乗りである。ウソとタダ乗りでうまくいくはずはない。