馬淵澄夫(衆議院議員)

 憲法については、政府の改憲論議に引きずられて、「改憲是か?非か?」、「憲法草案作成是か?非か?」などの議論に陥りがちだが、それ以前に、我が国に通底する社会的な価値観、規範を考えたときに、「憲法」とはなんぞやとの極めてプリミティブな考察が必要ではないのか?、との強い問題意識を私は持っている。

 そもそも、憲法は、革命の産物だ。欧米諸国において、王政などの封建国家から民主革命を経て、衆議を決する仕組みすなわち議会制民主国家へと変わりゆく過程で、権力を抑制する仕組みとして必要とされてきた規範が憲法だった。

 まさに、歴史の分断、統治の非連続を補うものとして必要とされた根本規範である。国家を「人工国家」と「自然国家」に分類するならば、このような意味での憲法は「人工国家」をつくる仕組みの一部として位置づけられてきたと言える。

 こうした、「人工国家」としての仕組みとしての憲法を否定するものではないし、フランス革命やアメリカの独立戦争など民主化の流れにおいて憲法や独立宣言が必要不可欠であったことは理解できる。

 しかし、立憲主義が「憲法」のみを主権の体現とする考えと捉まえることには違和感がある。イギリスでは、王権を存続したままに伝統的価値観、慣習法などから「不成文」の憲法規範・体系を構築した。

 議会決議や裁判所の判例、国際条約、慣習等のなかの国家の性格を規定するものの集合体を憲法とみなしたのである。そこでは、「憲法」以前に、国家と国民に根付く価値観や規範が最重要の意味をもつ。
衆院本会議
衆院本会議
 長い歴史の歩みや目に見えぬ価値を守り、「自然国家」としての成り立ちを持つ我が国でも、こうした不文の価値観を憲法(規範)として位置づけるべきだったのではないか。しかし、残念ながら我が国の革命と位置付けられるであろう明治維新の際、明治政府はプロイセンの欽定憲法を採用した。

 ドイツは、プロイセンによる近代国家としての統一は19世紀まで無いが、中世ドイツは神聖ローマ帝国として形式上は統一された帝国でもあった。神聖ローマ帝国がドイツ第一帝国、プロイセンによる統一ドイツが第二帝国、ヒトラーによるドイツが第三帝国とされている。