竹嶋渉(元在韓ジャーナリスト)

 現在、韓国政界を揺るがせている「崔順実ゲート」事件。事件の内幕が徐々に明らかになるにつれて、朴槿恵政権をも揺るがしかねない事態になっている。

 この事件は女性実業家・崔順実氏(60)が朴槿恵大統領を通して国家機密情報を入手し、国政の運営や政府の人事に関して大統領に助言を与えていたほか、崔順実の血縁者が文化・体育関係の財団を相次いで設立し、そこで不正をほしいままにしてきた、というものである。崔順実氏の娘・鄭ユラ氏にも不自然な特例入学や恩恵付与が報じられてもいる。

 韓国では、過去に大統領の近親者や周辺人物が権力を背景に大規模な不正を行った事例があり、これだけでは特に驚くに当たらない。
 
 今回の事件が特異だったのは、「大統領の周辺人物」が新興宗教関係者であったこと、親子2代にわたって濃密な関係を結んでいたことだろう。崔順実氏の父・崔太敏氏(1912~1994)は1970年代に新興宗教・「永世教」を興し開祖となった人物。崔太敏氏は、朴槿恵氏の父・朴正煕大統領の時代から大統領府に出入りし、権勢をほしいままにしていたという。

 1974年8月、朴槿恵氏の母親・陸英修女史が狙撃されて死亡する事件が起こるが、このころ崔氏は朴槿恵氏にも接近。1975年に「大韓救国宣教団」なる団体を創設して総裁に就任、朴槿恵氏を名誉総裁に迎えている。1977年には朴正熙大統領から不正疑惑を直接追及されているが、この際には処罰を免れている。1979年に「大韓救国宣教団」を「セマウム奉仕団」に改称し、大学や企業の内部でその勢力を伸長させた。

1970年代の朴槿恵氏
(大韓民国大統領秘書室編『セマウル』(1975年)より)
 崔太敏氏は6人の妻との間に8人の子(3男6女)をもうけたが、崔順実氏は5女にあたる。崔太敏氏は自らの「霊性」を継承する存在として、崔順実氏を特に寵愛していたという。崔順実氏が朴槿恵氏と本格的に親交を深め始めたのは1977年ごろとされている。1977年に崔順実氏は「セマウム奉仕団」の全国大学生連合会会長となり、1979年6月に開かれた「セマウム奉仕団」の体育大会では朴槿恵氏の横の席に座っていたことが確認されている。

 1979年10月に朴正熙大統領が暗殺された後、崔父娘はますます朴槿恵氏に食い込み、故・陸英修女史が設立した児童福祉財団・「陸英財団」の幹部も務めた。この財団の運営をめぐり、朴槿恵氏の妹・朴槿令氏と崔父娘との間に摩擦が起こり、朴槿令氏が崔太敏氏の処罰を求めて大統領府に嘆願書を出すという事態が起こっている。もっとも、朴槿恵氏はこの事態の経緯について、自叙伝などでも詳しく触れていない。

 「一部では、私が育英財団の運営から退いたことについて、いろいろな憶測を流しています。母が生前建てた子供会館が、姉妹のあいだのいざこざを生んだかのように見られることは、あってはならないことだし、いかなる理由でも許されないことなので、妹にその職を譲った(1990年)。その後、問題が起きたというニュースに接する度、歯がゆい思いをするが、私は妹がよくやってくれていると信じている(朴槿恵氏の側近に対する槿令氏側の批判が発端となり、理事長職を辞任。その後も運営をめぐりトラブルが報じられていた)。」(朴槿恵著『絶望は私を鍛え、希望は私を動かす-朴槿恵自叙伝』晩聲社より)