結局、三浦九段はクロなのか? 将棋界の性善説を壊したスマホ不正の罪

『松本博文』

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松本博文(将棋ライター)

 将棋界では現在、大変な騒動が起こっています。

 ことの発端は、実力上位の有名棋士である三浦弘行九段が、将棋ソフトを参考にして公式戦の対局を指したのではないか。つまり、「カンニング」をしていたのではないか、と疑われたことにあります。
「第2回電王戦」第5局で、将棋ソフト「GPS将棋」との対戦後会見する、敗れた三浦弘行八段(当時、左から2人目)=2013年4月20日、東京都渋谷区の将棋会館(栗橋隆悦撮影)
 三浦九段はもともと、実力のある棋士でした。1996年には、当時七冠を独占して将棋界のスーパーヒーローであった羽生善治に五番勝負で勝ち、「棋聖」のタイトルを得たこともあります。以来20年にわたって、将棋界の第一線で活躍し続けてきました。

 しかしここ最近、複数の棋士からは、

「三浦九段は対局中、不自然に長い時間席を離れることが多くなった」
「三浦九段っぽくない指し手が多くなり、調べてみるとコンピュータ将棋ソフトの指し手と一致していた」
「状況から考えて、三浦九段はスマホを使って、隠れて不正をしているのではないか?」

 という疑念を抱かれてしまいました。

 そうした傍証だけを強調されてみれば、なるほど怪しく見えなくもない。しかし、三浦九段が不正をしている現場を誰かに目撃されたり、何か決定的な物的証拠が押さえられたわけではないようです。

 ともかく将棋連盟の理事会(執行部)は難しい対応を迫られました。細かい背景や経緯はここでは省略しますが、執行部側は三浦九段に対して年内の出場停止という処分を降しました。

 三浦九段は、将棋界最高の優勝賞金額(4320万円)を誇る竜王戦のトーナメントを勝ち抜いて、七番勝負で渡辺明竜王に挑戦することが決まっていましたが、その権利も失ったのです。

 何よりも現状、三浦九段の名誉は大きく傷つけられています。そして同時に、将棋界全体に対する信頼も、大きく揺らいでいます。

 三浦九段は本当に「カンニング」をしていたのか。三浦九段が「クロ」にせよ、「シロ」にせよ、執行部側の対応は適正だったのか。将棋界ではいま、主にこの2点をめぐって、大きな議論が起こっているのです。

 不正疑惑に端を発する一連の件が、どのような決着を見せるのか。おそらくは現在のところ、誰にも見通せていないようです。残念ながら、ファンは正確な情報も伝えられず、驚き、あきれ、悲しみながら事態の推移を見守っている、という状況に陥っています。
バカにし続けてきた相手が進歩を遂げた

 この問題の前提として、一つだけ言えることがあります。それは、「コンピュータ将棋は現在、人間よりも強くなった」という、厳然たる事実です。それも、ちょっとの差ではありません。人間がもうとてもではないけれど、かなわないほどに強くなってしまった、というレベルです。

「人間は計算力や記憶力でコンピュータに勝てるはずないんだから、そんなの当たり前じゃないか」

 そう思われる方は多いのかも知れません。しかし、将棋愛好者にとっては、そう簡単に割り切れないところがあるのもまた事実なのです。

 コンピュータ将棋の開発は1974年に始まりました。人間はこの時すでに、単純な計算力や記憶力ではコンピュータにかなわなくなっています。しかしそれでも、コンピュータ将棋は絶望的に弱かった。ルール通りに指せればいい方で、人間のエキスパートから見れば、それはもう笑ってしまうほどに弱かったのです。

 将棋はそれだけ奥が深いゲームでした。だからこそ400年も前からずっと遊び続けられ、いまだに多くの人が夢中になっているのです。
 弱くてどうしようもないコンピュータ将棋は、長い間人間の実力者たちからバカにされ続けてきました。その対比として、強い棋士の頭脳の優秀さもさかんに宣伝されました。

 しかし、1990年代中頃には次第に事情が変わってきます。将棋は最後、玉(王様)を詰ます(逃げられなくする)ことができれば勝ち、というゲームです。その「詰むや詰まざるや」という分野に限っていえば、コンピュータソフトの能力は人間の能力をはるかに上回ったのです。

 とはいえ、その段階に至ってもまだ、コンピュータの実力が総合的に人間を上回るという想像は遠い未来のものでした。

 1996年、棋士に対して、「コンピュータがプロ棋士を負かす日は? 来るとしたらいつ」というアンケートが取られましたが、

「永遠になし」(米長邦雄九段)
「私が引退してからの話でしょう」(谷川浩司九段)

 という見方が、代表的なものでした。

 しかし、現実は人間の想像力を越えていきます。コンピュータそのもの(ハード)の性能も向上する一方で、将棋ソフトを強くするための技術や方法論も、飛躍的に進歩を遂げていきました。

 2005年には「Bonanza」(ボナンザ)という名の、革命的な将棋ソフトが登場します。作者の保木邦仁(ほき・くにひと)さんは、将棋の初心者なのですが、コンピュータに自動的に学習させるという手法を取り入れて、革命的に強いソフトを開発することに成功したのです。

 この頃にはすでに、ほとんどのアマチュアがコンピュータには勝てないほどになりました。
自らを窮地に…「将棋そのもの」の対応

 2007年、ボナンザは将棋界のトップ棋士である渡辺明竜王に公開の場で挑戦しました。ボナンザの勝つ確率はゼロに近い。事前の予想では、多くの人がそう思っていました。しかしボナンザは、竜王を相手に大善戦。結果は竜王の勝ちでしたが、あわやというところにまで追い詰めたのです。

 それから数年。コンピュータの実力は、棋士も含めてほとんどの人間を追い越してしまった。

 2013年、棋士とコンピュータの公開対局の場である「電王戦」で、ついに現役棋士がコンピュータに敗れました。三浦弘行九段もこのとき人間側の大将として登場し、黒星を喫しています。
電王戦の最終第2局で、PONANZAに敗れた山崎隆之八段(右端)=5月22日、大津市
 電王戦では以後もコンピュータが棋士を圧倒しています。

 そして現在。つながった数百台のコンピュータ(クラスタ)でもなく、1台の高性能のパソコンでもなく、ポケットに入るほどの大きさのスマホで動くソフトあっても、すでに驚くほどに強い。そういう段階に至っています。

 コンピュータ将棋が強くなっていった過程を丁寧にたどっていけば、四十数年という歴史はとても長い。そこには開発者たちの悪戦苦闘の跡があります。

 しかし、古くからの将棋愛好者にとっては、まるで夢でも見ているかのように、あっという間にも感じられるのではないでしょうか。想像を上回る現実の変化に、意識が追いついていない人がいたとしても無理はありません。

 話を元に戻しましょう。現在の将棋界の「カンニング疑惑」に端を発する騒動は、事前に防ぐことは可能だったでしょうか。

「コンピュータ将棋はすでに棋士よりもはるかに強い」
「スマホでもたいていのことができてしまう」
「将棋界はこれまで性善説に基づくルールでやってきて、それはよき伝統でもあるのだけれど、残念ながら現在はそうとばかりも言ってられない」

 そうした正しい認識を持った人の意見を尊重し、対局場(主に東京・大阪の将棋会館の一部)に通信機材の持ち込みを厳格に禁止するなど、適切な措置を取っていれば、少なくともスマホをめぐっての無用のトラブルは防ぐことはできたはず。

 後から振り返ってみれば、誰でもそう言えるでしょう。

 現状を正しく分析し、前もって先を見通すのは難しい。しかし、何かしらの選択を迫られ、状況が悪くなった後であれば、何がよくて何がよくなかったのかはだいたいわかる。それはまさに、将棋そのものです。

 将棋界が先を見通すことができず何かしらの対応を誤ったがために、現在ピンチに立たされているのは、どうにも皮肉なことと言わざるをえません。

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