日本国憲法の語数は世界一少ない?70年間改正を阻む「分量」の盲点

『井上武史』

読了まで11分

井上武史(九州大学大学院法学研究院准教授)

 7月の参議院選挙後、衆議院でも参議院でもいわゆる改憲勢力が3分の2を確保したことで、憲法改正が現実味を帯びてきた。そうした事情を踏まえてであろうが、メディアや論壇では以前にもまして憲法問題に関心が寄せられるようになった。

 もっとも、そこで行われる憲法改正論議には2つの特徴があるように思う。1つは、個別の改憲項目の是非にのみ注目が集まり、日本国憲法全体の特性が踏まえられていないこと、もう1つは、日本の憲法だけを見て、他の立憲主義国の動向が踏まえられていないことである。そこで以下では、2つの事実から出発して、憲法改正問題をより大きな視点から捉え直すことを試みたい。

 1つ目の事実は、日本国憲法が分量の少ない「小さい憲法」であることだ。このことは、日本がお手本にしてきた欧米諸国の憲法と比べると一目瞭然である。憲法の英単語数で比較すると、憲法をもたないイギリスを除外すれば、アメリカ憲法が7762語、ドイツ憲法が27379語、フランス憲法が10180語、イタリア憲法が11708語であるのに対して、日本国憲法は4998語しかない。アジアでも、韓国憲法は9059語を備えている。

 もちろん、連邦国家であるアメリカやドイツとは同列に論じることはできないが、しかし、同じ単一国家であるフランス、イタリア、韓国と比較しても、日本国憲法の分量はそれらの半分程度でしかない。各国には固有の事情があるとはいえ、これだけの分量の差はもはや誤差の範囲を遥かに超えている。つまり、日本国憲法は著しく語数の少ない憲法なのだ。
 
 憲法の語数が少ないということは、憲法に含まれる規範の量が少ないということである。それはつまり、憲法として通用するルールが少ないということだ。このことは、次の2つのことを推測させる。

 1つは、諸外国では憲法で規定されていることが日本国憲法には定められていないのではないか、である。すぐに思い当たるのは、政党条項である。政党は本来、民間団体であるが、現実の政治において公的な役割を果たしている。そこで各国では、憲法に政党条項を置いて、政党の役割や任務などを規定する反面、民主的な党内運営や憲法遵守などの特別の憲法的義務を政党に課すことが多い。

 議院内閣制を採用している日本国憲法においても、政党は当然に「議会民主主義を支える不可欠の要素」(最高裁判所)として位置づけられている。実際、現行法でも、比例代表選挙など政党本位の選挙制度が採用され、また政党助成金として毎年300億円以上の税金が投入されるなど、政党は多くの優遇措置を受けているのだ。にもかかわらず、それに見合った特別の憲法的義務が課されないのは不正常であるとともに、何より他の団体との関係で不公平であろう。憲法に政党条項を置くことには、現状に照らしても十分な理由がある。
70年間の変化に一貫して目を閉ざす

 2つ目の推測は、憲法の不足が憲法解釈や法律によって埋め合わされているのではないか、である。ここでも直ちに思い当たるのが、衆議院の解散である。衆議院解散権は「総理の専権事項」や「伝家の宝刀」などと当たり前のように語られるが、実はそうではない。そもそも憲法は衆議院で不信任決議が可決された場合の解散を規定するだけで、それ以外の場合の解散については何も言っていない。首相の解散権は、長年の憲法解釈の積み重ねで認められているに過ぎないのである。
2012年11月、衆議院解散を伝えるテレビに見入る買い物客=兵庫県洲本市
 しかし、衆議院の解散のような重要な国家行為が憲法の明文の根拠なしに行われていることこそ、政治が憲法に基づいて行われるべきとする立憲主義の観点から問題とされなければならないはずだ。憲法の不足・不備を補うことは、本来憲法改正の最優先課題である。今からでも遅くないので、解散権を明文化する憲法改正は早急に取り組まれるべきだ。

 そもそも、憲法の分量が少ないということは、権力を統制する文書としては不十分である可能性がある。諸外国の憲法の分量が多いのは、それくらいの分量を備えないと、憲法に基づいた政治ができないということでもある。権力統制の度合いを高める目的の憲法改正は、むしろ立憲主義を重視する立場からこそ提唱されるべきである。なお、2012年の自民党改憲案では政党条項と解散権の何れについても明文化されており、この点は公平に評価すべきだろう。

 2つ目の事実は、日本国憲法が制定以来一度も改正を経験していないことだ。この事実は、政治社会や国際情勢の変化にもかかわらず、憲法は何らの応答も示してこなかったということを意味している。つまり、憲法は70年間の社会の変化に一貫して目を閉ざしてきたということだ。

 当然のことながら、このような歩みは、日本がお手本としてきた他の立憲主義諸国とは大きく異なる。1949年制定のドイツ基本法は現在までで60回、1958年制定のフランス憲法は24回、そして1787年制定のアメリカ憲法は通算18回、戦後だけでも6回の改正を経験している。もちろん、重要なのは憲法改正の回数自体ではなく改正内容であるが、その動向が詳しく伝えられることはあまりない。

 欧州諸国に見られるEU関係の改正を別とすれば、各国の憲法改正の内容は、概ね以下の3つに類型に分けられる。それは①権力バランスの回復、②現代的な統治技術の導入、③新しい理念や価値観の宣言である。
参院選で内閣が変わる権力の不均衡

 第1の権力バランスの回復とは、権力関係に不均衡が生じた場合にそれを是正することである。具体的には大統領や国会議員の任期や権限を変更する改正である。代表的な例だけを挙げると、フランスでは大統領と議会との「ねじれ」を回避するために、2000年憲法改正で大統領任期(7年)が議会任期と同じ5年に短縮された。また、イタリアでは現在、強すぎる上院の権限を縮小する憲法改正手続が進行中で、12月に国民投票が行われる。

 第2の現代的な統治技術の導入とは、憲法制定後に確立した新しい制度や技術を憲法に取り込むことである。実は、統治の制度や技術も時代を経る中で新たに考案される。たとえば、「憲法裁判所」は20世紀前半に考案された新しい国家機関であり、それが普及したのは第二次世界大戦後である。また、韓国やベルギーは、戦後の憲法改正によって憲法裁判所を設置している。

 第3の新しい理念や価値観の例としては、環境保護原則が挙げられる。フランスでは環境憲章という独立の法文書が制定され、後に憲法に編入された。また、欧州の基本的原則として死刑の禁止(ドイツ、フランス、イタリアなど)が、あるいは最近では同性婚の禁止(クロアチア)が憲法の原理として書き込まれた例もある。

 さらに、フランスは興味深い憲法改正を試みた。女性の社会進出が進まないフランスでは、1999年憲法改正で男女同数原則(パリテ原則)が憲法に規定された。そしてこれを具体化する法律が選挙での比例代表名簿の順位を男女交互に配置することを義務づけたため、2015年12月の地方議会選挙では、全議員のうち女性議員が47.8%を占めるに至った。このように、欧米の立憲主義諸国は、憲法制定後に生じた新たな問題を憲法自体のアップデートによって対処してきたのだった。

 こうした諸外国の改正動向は、果たして日本とは無関係なのだろうか。2000年代以降の「ねじれ国会」では、「強い参議院」の実態が明らかになった。実際にも、参院選敗北の責任を負って首相が退陣に追い込まれ(1998年橋本内閣、2007年安倍内閣)、来たる参院選に備えて首相が交替するなど(2001年森内閣、2010年菅内閣)、参院選の結果が政局に直結する事態が相次いで生じた。

 しかし、衆議院の信任のみに基づく内閣が参院選を契機として変わることは憲法の予定するところではなく、ここには権力の不均衡が見られる。したがって、その是正のために、憲法改正によって、強い参議院の源泉である衆議院での再可決要件(59条2項)を現行の3分の1以上から2分の1以上に緩和することには十分な理由がある。
憲法裁判所は現代憲法の「標準装備」

 ②についても、日本の違憲審査制度は機能不全に陥っており、憲法裁判所の設置が検討されてもよい。現行憲法の施行から70年近く経過した現在でも、最高裁が法律を違憲と判断したのは昨年12月に出された再婚禁止期間規定に関する違憲判決を入れてもわずか10件しかない。また、衆参の国会議員選挙に関する一票の格差訴訟で最高裁はここ数年「違憲状態」判決を繰り返しているが、選挙そのものを違憲・無効としたことは1度もない。
2015年11月25日、衆院選の「1票の格差」訴訟の上告審判決で最高裁が違憲状態と判断し、笑顔を見せる原告団の升永英俊弁護士(中央)ら
 投票価値の不平等は法の下の平等(14条)に違反する人権侵害であるとともに、民主主義を歪める異常事態であるが、最高裁によって長年放置され続けている。このような最高裁の「消極主義」は従来から問題視されてきたが、違憲審査制が現実にあまり機能していないという状況は、権利保障を本質的要素とする立憲主義にとって、最も深刻な問題であるはずだ。

 憲法保障・人権保障に専心する憲法裁判所は、立憲主義の統治システムの到達点であり、いまや現代憲法の標準装備とさえ言い得る。昨年夏の安保法論議でも明らかになったように、違憲の疑いのある法律について早期の違憲審査を可能とするためにも、憲法裁判所の導入はもっと真剣に考えられてよい。

 さらに、③の理念や価値観については、70年間受け継がれてきた平和主義を引き継ぐことはもちろん大切であるが、環境問題や財政問題など現在および将来の日本が直面する課題への指針として、「環境保護原則」や「財政均衡原則」などを憲法に掲げることも一考に値するであろう。

 分量の少ない「小さい憲法」、改正経験が一度もない憲法。これらは否定しようのない事実であるとともに、他の立憲主義諸国にはおよそ見られない日本に特殊な事実でもある。日本国憲法のこのような特性を踏まえたとき、我々に問われるのは、権力をよりよく統制するために憲法に十分な規定を補充し、憲法を社会の変化に応答的なものにしようとするのか否かである。

 そしてこの問いは同時に、日本が諸外国並みの憲法に追いつこうとするのか、それともこれまで通り特殊な憲法をもち続けるのか、という今後の日本の針路にもかかわる。憲法改正論議では、個別の問題の是非だけでなく、より大きな視点に立った議論が望まれる。

この記事の関連テーマ

タグ

今さら聞けない憲法改正の核心

このテーマを見る