2つ目の推測は、憲法の不足が憲法解釈や法律によって埋め合わされているのではないか、である。ここでも直ちに思い当たるのが、衆議院の解散である。衆議院解散権は「総理の専権事項」や「伝家の宝刀」などと当たり前のように語られるが、実はそうではない。そもそも憲法は衆議院で不信任決議が可決された場合の解散を規定するだけで、それ以外の場合の解散については何も言っていない。首相の解散権は、長年の憲法解釈の積み重ねで認められているに過ぎないのである。
2012年11月、衆議院解散を伝えるテレビに見入る買い物客=兵庫県洲本市
2012年11月、衆議院解散を伝えるテレビに見入る買い物客=兵庫県洲本市
 しかし、衆議院の解散のような重要な国家行為が憲法の明文の根拠なしに行われていることこそ、政治が憲法に基づいて行われるべきとする立憲主義の観点から問題とされなければならないはずだ。憲法の不足・不備を補うことは、本来憲法改正の最優先課題である。今からでも遅くないので、解散権を明文化する憲法改正は早急に取り組まれるべきだ。

 そもそも、憲法の分量が少ないということは、権力を統制する文書としては不十分である可能性がある。諸外国の憲法の分量が多いのは、それくらいの分量を備えないと、憲法に基づいた政治ができないということでもある。権力統制の度合いを高める目的の憲法改正は、むしろ立憲主義を重視する立場からこそ提唱されるべきである。なお、2012年の自民党改憲案では政党条項と解散権の何れについても明文化されており、この点は公平に評価すべきだろう。

 2つ目の事実は、日本国憲法が制定以来一度も改正を経験していないことだ。この事実は、政治社会や国際情勢の変化にもかかわらず、憲法は何らの応答も示してこなかったということを意味している。つまり、憲法は70年間の社会の変化に一貫して目を閉ざしてきたということだ。

 当然のことながら、このような歩みは、日本がお手本としてきた他の立憲主義諸国とは大きく異なる。1949年制定のドイツ基本法は現在までで60回、1958年制定のフランス憲法は24回、そして1787年制定のアメリカ憲法は通算18回、戦後だけでも6回の改正を経験している。もちろん、重要なのは憲法改正の回数自体ではなく改正内容であるが、その動向が詳しく伝えられることはあまりない。

 欧州諸国に見られるEU関係の改正を別とすれば、各国の憲法改正の内容は、概ね以下の3つに類型に分けられる。それは①権力バランスの回復、②現代的な統治技術の導入、③新しい理念や価値観の宣言である。