大川慎太郎さんの『不屈の棋士』(講談社現代新書)は、今年出版された本の中では屈指の名著である。将棋の棋士たちが、台頭する将棋ソフトに対して、どのように向き合っているか、丹念なインタビューで浮き彫りにしている。

 この中で衝撃的だったのが、ある棋士の方が、人間相手の対戦には、興味がない、タイトル戦にも興味がない、なぜならば、相手がたまたま弱かったり、ミスをしたりすることで勝つこともあるから、そのような闘いを積み重ねても、ほんとうの意味での将棋の力の養成にはならない、と発言されていたことだった。

米長邦雄永世棋聖(中央)もコンピューター将棋ソフト「ボンクラーズ」と戦い、敗れた=2012 年1月14日、東京・千駄ケ谷の将棋会館
米長邦雄永世棋聖(中央)もコンピューター将棋ソフト「ボンクラーズ」と戦い、敗れた=2012 年1月14日、東京・千駄ケ谷の将棋会館
 もうすでに、少なくとも一部の棋士の方の内面には、「人工知能>>人間の棋士」という不等式が、確信として宿っているように思う。今回の竜王戦の事件は、そのような不等式がもたらす人間の弱さの、一つの象徴なのだと私は考えるのである。つまりは、圧倒的な人工知能の実力の前に、脳が「メルトダウン」してしまったのだ。

 私は、将棋の棋士たちは、「炭鉱のカナリア」のような存在だと考える。これから、さまざまな分野で、「人工知能>>人間」という不等式が、成立していく。

 マツコ・デラックスさんそっくりのロボットをつくったことでも有名な、ロボット研究の第一人者、石黒浩さんは、最近、ある場所で、学生たちに向かって、「医学部とか、法学部とか、従来偏差値が高いと考えられていた学部から、価値が無くなっていく」と話された。

 なぜか? 法律知識において、人工知能はもうすぐ人間を凌駕していく。アメリカでは、すでに、大手法律事務所で、人工知能の弁護士(破産法が専門)が雇われているという。医療診断においても、IBMが開発したワトソンのような人工知能が、人間の医師よりも多くの膨大なデータを駆使して、診断をするようになる。人間の医師は、医療のビッグデータの分析において、全くかなわないだろう。

 このような状況を踏まえて、石黒さんは、法律や医療など、体型的な知識が職業を定義づける分野から、人工知能に侵食されていくだろうと考えているようだ。私も、基本的に石黒さんに賛成である。

 人工知能>>人間。この事態を前に、私たちはこれからの生き方を、どのように考えていけばいいのだろうか。

 人工知能が、人間の能力を凌駕するようになっても、必ずしも将棋の棋士、医者、弁護士という仕事がなくなるわけではない。なぜならば、人間とのコミュニケーションという重要な役割においては、人間を超える存在はないからである。